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日本の衣料品
SOU・SOUプロデューサー
若林 剛之
< 2012年07月12日 >
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「日本のブランドだから、日本語にしたかったんです」
■現在は京都だけでなく東京や海外にも店舗を持つ、「和」のテイストを現代に通じるカタチで展開する衣料品ブランド『SOU・SOU』の代表・若林剛之氏は、ブランド名の由来について、こう前置きした後で、以下のように語ってくれた。
「そうそう、って、まぁ相槌って日本語での会話において大事なものだし、言いやすいなと。(二〇〇二年にオープンした)最初は『ティームズデザイン+ムーンバランス』だったんですよ。長いじゃないですか、言いにくいし(笑)。で、翌年(二〇〇三年)東京出店の際に『SOU・SOU』にして。で、言いやすいなと。それで京都(の本店)も『SOU・SOU』に変えて」
■ブランド名の命名には紆余曲折があったようだが、同ブランドを展開してきたこの十年はどうだったのだろうか。
「・・・印象深かったことは・・・ニューヨークで展示会をやったんですけど、そこでラルフローレンのクリエイティブ・ディレクターが買っていったんですね、一万何千円かの地下足袋を。あと、「俵屋」さんっていう京都の高級旅館があるんですけど、そこで『SOU・SOU』の地下足袋の取り扱いが決まった時。で、そこで初めて『SOU・SOU』の地下足袋を買っていった人っていうのが、そこに泊まりに来ていたスティーブン・スピルバーグ監督やったんですね」
■若林氏は『SOU・SOU』を立ち上げる以前は、洋服のインポートに携わっていたという。なればこそ自身のブランドを、今度は海外へエクスポート出来たことに対する喜びも人一倍あったのだろう。しかし、そうとばかりは言えないようだ。
「確かに当時は嬉しかったですよ、すごく。でもやっぱり先ずは「俵屋」さんっていう日本を代表する高級旅館、それこそ日本文化について精通された大先輩ですよね、そこで『SOU・SOU』の地下足袋を取り扱ってくれたっていう事の方が嬉しい。やっぱり日本の文化人に認められる方が嬉しいですよ。その他にも、外国のファッションデザイナーやハリウッド女優の方が地下足袋を買ってくださったこともありますが、個人的には日本文化を創ってきた方々に『SOU・SOU』を面白いと言って頂ける方が嬉しいです」
■モノはもとより、そのモノを生み出した文化という土壌が根付いているかどうか。若林氏が重視するのは「背景の共有」の有無とも言えようか。
「イタリアに行った時に、フェラーリがここでなら生まれるなと思った。ルイ・ヴィトンもフランスでフランス人がいて生まれる。でもそれらはこんな裏寺の・・・というか、日本の町並みに合わない。別に日本人が外国へ行く事を否定はしないですよ。ただ、クリエイターっていうのであれば、自分の生まれ育った土地に根ざしたモノを作る方がいいと思うんです」