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日本のアニメ映画
アニメーション監督
八鍬新之介
< 2016年08月28日 >
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今年の春、諸事情があって、20年以上ぶりに映画館で映画の『ドラえもん』を観ました。『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』です。私自身、子供の頃には『ドラえもん』などの藤子(F・不二雄)作品に親しんでいましたが、大きくなるにつれ卒業。また、原作者が亡くなった事実にかこつけて、原作者を欠いた状態で作られる『ドラえもん』には否定的な意見を持ってもいました。
しかし、この『新・のび太の日本誕生』においては、傑作だと感じたわけです。それは映画単体としてはもちろん、リメイクとしても上作だったと思いました。いつのまにか、私の知らない、知ろうともしなかったところで、『ドラえもん』は進化していた。その事実が何より嬉しかったのです。一度別れた女と何年後かに再会してみたら、昔より女らしく見えたような・・・(ちょっと違うか?)その多幸感をひもとき、新たな形で構築するべく、『新・のび太の日本誕生』の監督を務めた八鍬新之介さんをたずねてみました。
■ 本日は宜しくお願いいたします。そもそも、2016年の春に公開された『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』の制作に八鍬監督が携わることになったのは・・・?
八鍬新之介(以下、Y): 僕は2014年の『ドラえもん 新・のび太の大魔境』にも監督として携わっていたんですが、その公開のすぐ後ですね。前任のプロデューサーから指名を受けて、内容が『のび太の日本誕生』(1989年)のリメイクだと決まったのが、2014年の6月頃だったと思います。
■ 2014年の『新・大魔境』の時と違って、今作では脚本も手掛けていますが、これは能率面の配慮で?
『映画ドラえもん 新・のび太の大魔境 ~ペコと5人の探検隊~』
2014年3月8日公開(日本)
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Y: そうですね。シナリオ・ライターさんに頼むにしても、それ一本に専念してやってくだされば良いんですけど、大抵、同時に何本かお仕事を抱えてらっしゃるじゃないですか。そうすると、その兼ね合いで、進行が遅れたりするんですね。でも、監督がやれば進行が早く済むわけです。事実、2014年の9月くらいにはもう今作の脚本は上がっていましたから。
■ 早いですね。翻して言えば、『新・大魔境』の時は、そういうじれったさが?
Y: ・・・まあ、じれったくはありましたけど(笑)。ただ僕が今回、脚本を書いたのは、元々、藤子(F・不二雄)先生が作られた土台が存在するリメイクだったからです。一から話を作るオリジナル映画で、監督が脚本も兼任となると、どうしても客観的に話を見られなくなってしまいます。ですからオリジナルをやるのであれば、シナリオ・ライターさんと一緒になって、お話を考えていくやり方が正解だと思います。
■ なるほど。それで、2014年から2015年にかけては・・・
Y: イメージ・ボード(大まかなイメージをスタッフに伝えるスケッチ)を描きました。あと、オープニング部分だけは絵コンテも2014年内に済ませまして、2015年の年明けからすぐ、本編のコンテ作りを開始しました。
■ つつがなく進行した感じですか?
Y: いえ、難儀したところもありました。たとえば、アニメーターが描いた絵を監督や演出、作画監督が何重にもチェックするので、なかなかアニメーターに戻せなかったりとか、あと、今回は、国内の原画作業ではカバーしきれなくて、第二原画を海外に発注したんですけど、その絵がかなり崩れていて、直すのに時間が掛かったりとか、色々ありました。
■ それ、監督としては気が気じゃないですね。
Y: ないですよ(笑)。これはアニメーション作りの難しさですね。もちろん、僕にも責任の一端があるわけですが、明確な責任の所在が判らないですからね。その後の声優さんのアフレコ(声を吹き込む作業)は順調でした。最近は声優さんが個別に録る「抜き録り」が多いんですけど、『ドラえもん』の現場で特徴的なのは、みんな一堂に会して一発録りをするんですよ。今回は運が良くて、ゲスト・キャラの声優さんも、みんな揃って録れたので、アフレコは2日で終わりました。
■ 最終的に映画館で上映される形に作品が仕上がった時期と、公開された後になって感じる反省点などを教えてください。
Y: 映画の形に仕上がったのは、今年(2016年)の2月中旬ですね。今回、上手くいかなかった所も含め、自分の中で「もうこれ以上のものは出来ない」ってところまでやったと思っているんです。だから反省点はあまりないですね。もちろん、後から見直すと、服がなびかなきゃいけないのにピタッと止まっていたりとか、気になる些細なミスもあったりするんですけど、そこはDVDまでに直そうかと(笑)。
※インタビューは2016年5月中旬に行なわれました。現在、DVDは絶賛発売中です。