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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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日本のエッセイまんが
漫画家

ゆうきまさみ

< 2015年11月27日 >

30年である。その歳月は、はたして長いのか、短いのか。夜空に浮かぶ星影、その旅路を想うなら、取るに足らない時間かもしれない。しかし1人の子供が生まれ、育ち、成人し、誰かと結ばれ、家族を築き、さらに子を持つに値する歳月と考えれば、果てしないと呼ぶに足る長さではあるまいか。

漫画家、ゆうきまさみが「月刊ニュータイプ」(以下、NT)に自身のエッセイまんが『ゆうきまさみのはてしない物語』(以下、はてもの)を連載しはじめたのが、1985年。連載は、今年、2015年で、ちょうど30周年を迎えた。もはや名実ともに果てしない物語となった『はてもの』の筋道を、東京の一角に佇む、昔ながらの喫茶店で、ゆうきまさみに訊ねた。




■ 本日は宜しくお願いします。まずは、『はてもの』を「NT」に連載されるようになったキッカケから、お願いします。

ゆうきまさみ(以下、Y): キッカケは、昔からの知り合いの井上伸一郎さん(現・KADOKAWA代表取締役専務)が新しいアニメ雑誌を作るというので、そこで連載のお誘いを受けたからです。僕も、原田知世さんに会えるかもしれないから、角川の仕事はやりたい、やりたいと言っていて(笑)。


(C)ゆうきまさみ・KADOKAWA
「月刊ニュータイプ」1998年4月号掲載
左から、井上伸一郎、ゆうきまさみ

■ 当時、原田さんは「角川三人娘」の1人でしたからね。

Y: で、「やってよ」と井上さんに云われて、始めました。コラムというのも、井上さんからの指定です。「NT」が創刊されて、当時は岩井田さん(初代担当)が担当だったんですけど、内容については、指定も特になかったんですよね。で、最初の二回は、映画『ネバーエンディング・ストーリー』の感想に、一枚絵を添える形になったんですけど、これじゃあ面白くないなと思って、三回目で漫画形式に変わったんです。三回目で、何かつかめたんですよね。そもそも、僕、一枚絵は得意ではなくて(笑)。


■ まあ、一枚絵だったら、どっちかというと、イラストレーターのテリトリーですしね。

Y: そうそう。僕は別にイラストレーターではなくて、漫画が描きたい、漫画家なので。


■ そんなこんなで始まった『はてもの』も今年で30年目ですが、その中で、こう変わったな、など、ご自身で実感されることはありますか?

Y: 変わったこと・・・実は当初から長い間、打ち合わせとかナシでやっていたんですよ。ちゃんと打ち合わせするようになったのは、担当が三枝さん(二代目担当)に変わった時からだから、2008年以降ですね。それまではずっと出来た原稿を岩井田さんにお渡しするスタイルでしたから。


■ 打ち合わせナシって、スリリングな気もしますけど(笑)。

Y: だから昔、一回だけ、原稿を確認した井上さんから、「これはやめてくれ」と云われたことはありました。僕がゆうきまさみ個人として、思っていることなんだけど、ダメかな、と言ったんですけど、「角川としては、これは載せられない」と云われ、引き下げました。でも、その一回だけですよ、そんなことは。


■ ちょっとカドが立ちそうな内容だと、それが角川書店(当時)の意見として受け取られかねないから、と。

(C)ゆうきまさみ・KADOKAWA
「月刊ニュータイプ」2007年6月号掲載

ツッコちゃん(左)とゆうきまさみ(右)

Y: そうですね。だから、この30年の間に変わったことと言えば、カドが取れたかな、とは思います。最初の頃は、若かったですから、いろんな方面、物事に噛みついていましたから(笑)。トゲが無くなった・・・のかな? 初期には、アダルト・アニメを観て、分析して、グラフとか作っていましたけど、あんなことはもう出来ないです(笑)。


■ 21世紀に入って、ツッコちゃんが登場してから、文字量が減って、漫画(絵)が増えたようにも思えます。

Y: ああ、自然に会話劇ができるようになりましたからね。自由度は増したと思います。でも、あの人が出るまでにも、何の博士か分からない博士だったり、サッカーのネタの時には、カルチョくんが出てきたりしていたので、そういう要素はあったんですけどね。