編集余談
本稿を草しているのは二〇二五年四月前半。他地域ではどうか分からないが、私が暮らす大阪においては、文句のつけようもないくらい春である。さすがに朝晩はまだ寒いと思うことがあるけれど、日中は(晴れていれば)暖かくて、もうコートやマフラーはなくてもいいだろうというような。
そういううららかなこの季節におそらく最も相応しくないだろう話題が、今回の主題である。そう、今回は久々に政治の話なのである。おい、もうちょっと他の話題はないのかと思う向きも多分にあるだろう。気持ちは分かる。本当に申し訳ないと思う(あまり思ってない)。
俎上にあげるのは、再選したドナルド・トランプ大統領率いるアメリカ政治である。
ご承知のように、先般アメリカ大統領選に勝利し、再選を果たしたドナルド・トランプは再就任後、実業家のイーロン・マスクと組んでいくつもの「マジかよ」な政策を大々的に打ち出した。この文章が公開される頃にそれらの政策がどうなっているかは分からないが、この「トランプショック」が世界中に波及したことは、多分まだ人々の記憶に新しい。
トランプ&マスク陣営が採っている手法は、必ずしも「自国ファースト」ではない。彼らの傍若無人な思いつきとも見える政策発表を受けて株価は乱高下。為替市場ではドルを売る動きが活発になり、彼らが敷いた高額の関税のために米国内では物価が高騰した。これらに徴する限り、トランプ&マスク陣営が米国民にもたらしたのは、幸福ではなく不幸だと考えるのが妥当だろう。
彼らのあり方は「自国ファースト」ではない。だとしたら、彼らの最優先事項は何であろうか。門外漢の私には推量するより他ないが、彼らが優先しているのは、特定の相手に対してできるだけスピーディーに屈辱感を与えることではなかろうか。取り敢えずそう仮定して話を進めたい。
先に述べたように、彼らの仕事はアメリカの「国益」にはなっていない。確かに、米国内の(ごく少数の)富裕層はさまざまな優遇措置を受けて莫大な利益を享受しているが、過半数の米国民はトランプ&マスク陣営から恩恵を浴しているとは言いにくかろう。にもかかわらず、トランプを変わらず支持する人が米国内に多く散在するのは、その政策が特定の誰かを効果的に攻撃し、鬱憤を晴らしてくれるからである。そう考えると平仄が合う。
メキシコ湾を「アメリカ湾」に改称する。カナダをアメリカに併合する。同盟国には多額の国防費を負担させる。イスラエルの批判をした学生を処罰せずにおいたという理由だけで、コロンビア大学への助成金を打ち切る。トランプ&マスク陣営が打ち出したこれらの声明は、いずれも「特定の誰か」を専一的に攻撃し、屈辱感を与えるためのものである。そう思っていいだろう。これらによって米国民の暮らしが良くなるなどはあり得ないわけだから。
大統領選だったか大統領就任前後だったかは忘れたが、トランプは「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」と言っていた。直訳すると「再び偉大なアメリカを作る」である。
この言い分が全米で好評を博したということは、多くの米国民が「かつて偉大だったアメリカは、今やすっかり衰退してグレートではなくなっちまった」と思っているということだろう。そこには劣等感、失望、嫉妬、落胆、諦念、憤りなど、さまざまなネガティヴな感情が混淆的に伏流している。
トランプもマスクも、ビジネスの世界に身を置いたことがある実業家である。ということは、彼らが「効率性」と「顧客のニーズ」という二つの要素を重視しても一向におかしくはない。
自分達の支持層は、アメリカの現況に不平不満を大いに抱いている。そのことを彼らは十分把握している。だったらまずはその鬱憤を晴らしてやろう。最も効率的な形で。トランプもマスクもそう考えたのではあるまいか。そうして出てきたのが、「特定の誰か」を専らに攻撃して屈辱を与える政策の数々なのである。私はそのように考える。
多くのアメリカ人が考える「国威」とは、どうやら「他人に屈辱を与えるだけのマウントを取ること」とイコールであるらしい。まるでチンピラみたいな、そういう品位のなさがこの一連の動きの底流にあることは確かだろうが、私は「でもそれってアメリカだけなのかな?」とも思う。
というのも、トランプ&マスク陣営が採っている「他人に屈辱を与えるためにマウントを取る」は、実は日本でも自民党や維新の会が採ってきたあり方でもあるからである。自民党政権は独立機関であるはずの日本学術会議に対して予算面で恫喝を繰り返し、維新の会の橋下徹大阪市長(当時)は教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例を施行した。いずれも国政、大阪市政に何一つメリットのない政策である。でも彼らは躊躇なくそれらを実行し、多くの有権者が彼らに拍手を送った。トランプの「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」は、維新の会がこの十数年大阪で公言し続けてきた「大阪に活気を取り戻す」と何も変わらないのである。
してみると、今のアメリカ政治は、大阪府民あるいは日本国民には「馴染みのある、見慣れたもの」と映るはずである。でもそういう視点で政治を語る論客が、見渡す限りどのメディアにもいない。そのことの方が私には「ショック」だったりするのだが。
(三坂陽平)