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■ 10月31日から11月29日にかけて、「〇〇年代のアニメ映画」をフィーチャーします。







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編集余談

前回は日本のポップスにまつわる、ちょっとした話(というのか)を叙した。それに加えて、少し思う所を今回は述べてみたい。

私が生まれたのは一九八四年である。この世代を何と呼び、どういう位置付けを与えるか、そのあたりは知らない。どこかの誰かが勝手にやればいいので、私の知ったことではない。個人的にはそう思っている。

ともあれ私は(多分)すくすくと育ち、九〇年代を小中学生として過ごした。そこには悲喜こもごも様々なことがあったが、その中で私はだいたい九〇年代半ばに日本のポピュラー音楽に惹かれ、以降そのまま音楽鑑賞を趣味にして、なんとか今日まで生きてきた。聴く音楽のジャンルは特に限っていない。サザンオールスターズからクリス・コーネル、ビル・エヴァンズ、鷺巣詩郎、大塚愛までいろいろと聴いてきた。聴く音楽の傾向には何らかの偏りがあるのかもしれないが、それでもおおむね「雑食的」と言っていいと思う。その曲が良いと思えば何であれ聴く。ジャンルは問題にしない、と。

とは言っても、その趣味の中心を占めるのは、やはり日本のポピュラー音楽になる。日本人によるジャズも聴くが、ジャズだって(今でこそ半ば伝統芸能化しているけれど)古くは大衆音楽だったわけだし。ただ、私が言うポピュラー音楽とは「ポップス」のことで、「歌謡曲」ではない。

このあたりは、いささか説明が必要だろう。戦後の日本では長らくポップスといえば、海の彼方で唄われる「欧米産のポピュラー音楽」を指した。クリフ・リチャードやコニー・フランシス、ジョニー・ソマーズ、ザ・ビーチ・ボーイズ、スケーター・デイヴィスなど、西洋人が唄う歌こそ「ポップス」であり、日本人歌手が唄う歌はそれには到底及ばない「歌謡曲」でしかなかった。戦争に敗けた当時の日本は総じて貧しく、戦勝国として君臨していた欧米は豊かさの象徴だった。だから日本のリスナー(特に若い人達)は、羨望と憧れを抱きながら、「ポップス」にそれぞれの耳を傾けた。

戦後間もない日本の社会を構成するのは、おおむね戦前生まれの人達である。彼らは多くの場合、戦前から脈々と受け継がれてきた歌謡曲に満足していた。一九五〇年前後には、まだ小学生だった美空ひばりが歌手デビューを果たし、民衆からの厚い支持を受けて人口に膾炙するが、彼女が「歌謡界の女王」と呼ばれるのはそれゆえで、当時の日本の大衆音楽とはそのまま「歌謡曲」だったのである。

戦前から脈々と「歌謡曲」は続き、しかし戦後には「ポップス」という舶来の文化がじわじわと日本国内で多くのリスナーを獲得していく。日本の音楽家の中にも「古い歌謡曲に拘泥していてはダメだ、海外からの新しい音楽スタイルも柔軟に取り入れていかなくては、発展性がない」と考える人達がぽつぽつと現れた。彼らを中心に据える形で、一九六〇年前後には「日本レコード大賞」も設立される。いわゆるレコ大。設立時点において、日本の世間で主流だった「歌謡曲」ではなく、新しい風を感じさせる音楽にこそ、賞を授けようではないかと考えて作られたレコ大は、時代が下るにつれて「世間で主流とされる音楽には賞を与えない、ねじくれた権威」とも目されてしまうが、そのあり方はこの成り立ちに由来する。

「歌謡曲」と「ポップス」では何が違うのか? いろいろと挙げられようが、多くの場合、ポップスは歌謡曲に比べてリズムやビートがはっきりしていた。そういう音楽を滋養にして育った世代によって、六〇年代以降の日本では「リズムやビートの利いた歌謡曲」がちらほらと演じられ、やがてそれは主流にもなっていく。かくして日本にも「ポップス」がじんわりと根付いていった。彼らの音楽は、七〇年代には「ニュー・ミュージック」と呼ばれ、それが九〇年代以降には「Jポップ」という称号を得るようになる(国内の洋楽至上主義者からは「歌謡ロック」と揶揄されながらも)。

一方で、別の動きも起こった。海外由来のポップスに「歌謡曲」が吞み込まれてしまうことを危惧したのか何なのか、歌謡曲に含まれていたドメスティックな要素をデフォルメした音楽が、六〇年代になって世に出てきたのである。総じて「演歌」と呼ばれる音楽がそれである。演歌とJポップは、同じ歌謡曲を親とするある種の双生児と言えるかもしれない。

話を戻すと、私が好んで聴くポップスは「ニュー・ミュージック」以降の大衆向け音楽なのだと思う。それ以前の「歌謡曲」ではない。そして、私は日本のポピュラー音楽を好んで聴く。日本の大衆音楽が、海外のそれと比べて劣っているなどとは思ったこともないし、そもそも比べるべきものでもないと思う。適当な度量衡がないわけだし。

ただ、こうした傾向は、ある世代に限られたものかもしれないなと最近思う。私より上の世代の音楽好きには、洋楽から強く影響を受けた、いわゆる「洋楽コンプレックス」を隠さない人が(少なくとも男性には)多いように見える。他方、今の若い世代(の女性)にはBTSやセヴンティーンなど、いわゆるKポップを好む人が多い。そういう印象を受ける。今の若い男性はとなると、接点がないのでよく分からない。クリーピー・ナッツとかミセス(グリーン・アップル)あたりを聴くのだろうか?

気が付けば、上の世代も下の世代も「海外産の音楽」を進んで聴いている。だから「進んで聴くのは国内の音楽」というトレンドは、日本のポピュラー音楽がある種の円熟期を迎えた(と言っていいだろう)時代にたまたま人格を形成することになった世代に固有のものなのかな、と思うのである。もちろんどの世代にだって洋楽を専らに聴く人はいるだろうし、愛聴する音楽の傾向と世代論とは関係ないとする意見もあるだろう。それは承知している。ただ上の世代や下の世代の(音楽に関する)傾向をたまに見聞きするにつけて、そこに隔世の感というか一抹の寂しさというかを感じないでもないのである。ああ、そうなんや、そうかぁ、みたいな。

大きく言えば、日本が先進国だった時代(だいたい八〇年代から〇〇年代)に物心ついた世代と、その前後の世代に属する人達では、国内の大衆向け音楽に対する感じ方が、多少なりとも異なるのかもしれない。今の若い世代は、日本が世界をリードする先進国だなどとはよもや考えていないだろう。という所で思うのは、「もしかしたら大正時代に物心がついた人達も、その前後の世代に対して同じようなジェネレーション・ギャップを感じていたのかな」なんだけれど、どうなんだろう。


(三坂陽平)