編集余談
巷間では「コロナ禍」が終わった、あるいは既に「アフター・コロナ」に突入していると報じられることが多いらしい。実際にどうかは地域差があると思うし、人によっても違うだろう。やれ「五類への移行」とか「マスク着脱の自由化」と言っても、そんなのは「人の取り決め」でしかなく、ウイルスはそんなものを勘考しない。だから中国では感染拡大が起きた。
私としては、早く「コロナ禍」が終わってほしいと思っている。ただ、この三年間ほどのウイルス禍でここまで一般人が「自粛」を強要されたことについては、一考の余地があるのではないかとも思っている。つまり、ウイルス禍以前の日本のあり方は、全体的にどこかしら「過剰」だったのではないか、だからウイルス禍が始まるやいなや、あそこまで「行動を控えろ」と言われたのではないか。そう考えてもいいような気が、個人的にはするのである。
という所で、ここでは三年前(二〇二〇年)の四月三日に公開した編集余談を以下に再掲載する。そうか、ウイルス禍が始まった当時、私が暮らす大阪は、こんな感じだったな。そう思い返したりする。まぁそれぞれに読み流して頂ければ幸甚である。なお、当時は算用数字を使っていた。ではどうぞ。
本来、この4月には家具をフィーチャーする予定でいた。大きく「日本製」と謳っているものの、ここのところジャズ、美術、2000年のポップスと━━しばらく文化、芸術方面に偏りすぎじゃね? と思っていたから。それに時期としては新生活が始まるシーズンで、それなら家具はタイミング的にいいかもな、とも思った。それが今年の初めのこと。
家具をテーマにするなら、作り手の現場を取材して、インタヴューもして、と思っていた。実際に取材OKしてくれるメーカーがどれだけあるかはともかく、まぁ久々に家具やってみようか、として話を進めていた。
ところが1月下旬には、ご存じの通り、新型コロナ・ウイルス騒動が世界規模で繰り広げられる。いわゆる「パンデミック」である。
報道では、最初の頃は、感染地域が限定されていた。中国の武漢で発生したとされるこのウイルスは、致死率もそんなに高くないと言われていた。日本国内でも、豪華クルーズ船と北海道が主な感染エリアであるかのように扱われていたと思う。当時、加藤厚労相は、クルーズ船でウイルス対策にあたる作業員に対し、「防護服を着用する必要はない」とテレビで大々的に言っていた。この段階では、恐らく多くの人がそうであったように、私も「ふうん、怖いなぁ。まぁちょっと様子見ようか」と思っていた。それ以上何ができるということもなかったし。
そういえば、2月に入った時点で全国的なマスク不足は言われていて、官房長官は「毎週1億枚の生産体制」とか「3月にはマスクを数億枚供給できるようにする」とか言っていた気がする。4月初頭の大阪でマスクはどこにも売っていない。どうなったんだろう? まぁ単位が「枚」だから全国にまんべんなくとは行かないかも知れないが、それにしても。
話を戻す。
3月に入り、ウイルスの封じ込めはことごとく失敗の様相を見せ、国民は多分「具体的にどうすりゃ安全なんだ?」がわからない。もちろん私だってわからない。徐々に混乱と困惑の空気が増し、3日には劇作家の別役実が、月末には芸人の志村けんが、いずれも肺炎で物故した。疑心暗鬼が広がり、自粛というより畏縮ムードが漂うようになった。
マスコミや政府御用達の識者は、普段新聞やテレビを観ない、政治にも関心が薄いといわれる若年層を優先的に叩いた。都心部の満員電車が規制される様子はないのに、飲食店や歓楽街はピンポイントで危険区域みたいに言われた。政府、官僚は狼狽するばかりの無策で、検疫や患者受け容れの体制を充実させる施策は2カ月間ほぼ進展しなかった。本稿が公開される「現在」にはこれらが過去形になっていることを、切に願う。
3月の初旬、家具をフィーチャーするのは諦めた。この状況では、取材依頼をいつものようにはかけられない。なにしろ取材に伺う記者(私だけど)が感染者ではないことを証明する手立てがない。相手(インタヴュイー)が感染者であるかも知れない。フツーの作り手や企業なら、自分達と訪問者、相互の安全を図ることを第一に考えるだろう。外部から「どこの馬の骨とも知れない記者」を軽々に招き入れたりはしないはずである。
また、致し方ないとはいえ図書館が(いつまでとも知れず)閉鎖されているのも、断念した一因である。これでは調べものができない。図書館での本の予約受け取りは引き続きできるらしい。でも、それには本の中身を知っている必要がある。
多分ほとんどの人がそうであるように、どの本にどういうことが書かれているのか、私にはわからない。どの雑誌の何月号にどういった情報が載っているのか、どの本の何ページにどんなことが書かれているのか、実際に閲覧してみないとわからない。何がどう役に立つかは、読んでからじゃないとわからない。ネットでの調査、取材には限界があるし。
以上の要因をもって、止むを得ず、家具をフィーチャーするのは断念した。というか、他の「実際に伺って取材する」系のジャンルも、当面は断念せざるを得ない。まずは図書館で調べものができるようにならないと話にならない。
私が世間に対してできる「自粛」は、これくらいのものである。かと言って、代案として採用した「小説編」をその場凌ぎにするつもりもない。小説は小説で、できるだけ良い記事を草したいと思っている。もちろん、その他のジャンルだって。読んでどう捉えるかは読み手次第、とは承知しているけれども。
(三坂陽平)