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■ 3月31日から4月29日にかけて、「日本のお菓子」をフィーチャーします。







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編集余談

こんにちは。お元気でしょうか。これを書いている今現在は三月半ばでして、暦の上では春というか、少なくとも「春が近づいている」ではあっていいはずなんですけど、しっかり寒いです。今日なんて外気温は十度に届くか届かないかで、日差しはないし寒風はひゅうひゅう吹くしで、手をポケットに入れないと歩くことも覚束ないありさまでした。二月には九州で二十五度をマークしたとか聞いた気もしますけど、まぁいわゆる「三寒四温」なんでしょうかね。

別に時候の挨拶をするためにこの場を設けたわけではありません。私事になりますが、今月の十五日で私は四十二歳を迎えます。イエイ。で、小学校高学年の頃からこれまでいろいろなポピュラー音楽を好きで聴いてきましたし、最近でも聴いているんですけど、最近は曲を聴いていて「そうか、この曲ってこの人が今の俺と同い年の頃に作られたんやな」と思うことが、多くなった気がします。そこで今回は、「あの歌手が四十二歳の頃に出た楽曲」というテーマでいくつか曲を取り上げてみようと思いつきました。いささか昔の曲が多くなりますが、それはそれとしてお付き合い下さい。




「野性のENERGY」


一曲目はビーズが二〇〇三年七月にリリースしたシングルです。ビーズの作曲とプロデュースは、ギターの松本孝弘が担当していまして、彼は一九六一年の三月に大阪で生まれました。つまりこの曲が出た時点で四十二歳。もっとも、作詞とヴォーカルを担当している稲葉浩志は松本より何歳か下なので、この時点ではまだ三十代後半ですけれども。

この映像作品では、ビーズの二人が「もしミュージシャンをやっていなかったらどういう職業に就いていたか」が仮想されています。松本は楽器店の店員、稲葉は数学の先生に扮して、彼らの演技を中心に映像が展開される。でも稲葉の教師はまだ分かるんですけど、松本は四十代前半で楽器屋の店員というのはあり得るんですかね? 店長とかマネージャーならまだしも、一従業員というにはちょっと歳が行き過ぎなんじゃないかと思うのですが、楽器販売業界では四十代でこの境遇って、そんな珍しくないんでしょうか? ちなみにアレンジメント(プログラミング)担当者は徳永暁人。




「少年時代」


続いてはもっと遡って、一九九〇年九月にリリースされた井上陽水のシングル曲です。彼は一九四八年八月に生まれた、いわゆる「団塊の世代」のシンガーなんですけど、最大のセールスを記録したシングルはこれなんだそうです。作詞は井上陽水、作曲と編曲は井上と平井夏美(音楽プロデューサーである川原伸司のペンネーム)の共同名義ですが、弦編曲は井上と初期の頃からツーカーの仲であるアレンジャー星勝が手がけています。

映像は二〇一四年に東京NHKホールで催されたコンサートのものですが、個人的にこの曲を初めて生で聴いたのは二〇一八年、ゼップ難波でのコンサートに行った時でした。二階席で聴いていたんですけど、ギターを手にした陽水がこの曲をサルサ調(とでも言うのでしょうか)で唄い出して、ふふっと笑ってしまいました。おいおい、原曲をここまで改変するかよと。別にそれがイヤだとかは全然なかったです。つくづくこっちの予想を裏切ってくれるぜと、面白がって聴いていました。彼は二〇一九年を最後に今に至るまで一切コンサートを開いていませんから、今思えば貴重な機会だったのかもしれません。




「爆笑アイランド」


サザンオールスターズが一九九八年十月に発表したアルバム『さくら』の五曲目に収録されている曲です。作詞作曲は桑田佳祐、編曲はサザンオールスターズの名義になっていますが、がつんとしたバンド・サウンドではなく、角谷仁宣によるコンピューター・オペレーションが効いた、いわゆる「デジロック」的な仕上がりになっています。角谷はウーロン舎という会社の子会社「ウーロビート」のマニピュレーターで、このアルバムでは彼が全面的に起用されているからか、アルバムの「スペシャル・サンクス」欄にはウーロン舎社長である小林武史の名前が記載されてたりもします。

桑田が生を受けたのは一九五六年二月二六日ですから、この作品が出た時点で四十二歳。リリース当時、私は中学三年生で、リアルタイムでこのアルバムを聴いていたんですけど、その時から好きな曲です。カセットに録音して、自分の部屋だったり亡父のクルマの中だったり、あるいはカセットウォークマンを使って愛聴していました。「なんでこのアルバムからこの曲なのか」と訊かれたら、歌詞で風刺されているのが当世の日本でもあるようで、面白いなと思うからというのもありますが、やっぱり「好きだから」というのも大きいです。ちなみに歌詞に出てくる「援交」は、今で言う「パパ活」ですかね。




「空と君のあいだに」


さて、その桑田が生まれる四年前、一九五二年の二月二三日に、北海道でこの歌姫が生まれました。中島みゆきです。とすると、中島が四十二歳になるのは一九九四年。この年、彼女もまた自身最大のヒット曲をリリースすることになりました。テレビドラマ『家なき子』の主題歌に起用された「空と君のあいだに」です。作詞作曲は中島みゆきが、編曲は八〇年代後半から彼女とタッグを組み続けているアレンジャー瀬尾一三が手がけました。

今当時の彼女と同年代になって思うのは、「もしかしてこの人って、なかなか美人だったんじゃないか?」という下世話極まりないことです。彼女って歌詞とか唄声についてはあちこちでやいのやいの言われていますけど、単純に女性としても実はかなりの器量よしなんじゃないかと。まぁこういうのって実際にお見かけしてみないと何とも言いにくい所ではありますけど。この曲を初めて聴いたのは、リリースされた頃だと思います。ドラマ観てましたからね。当時十歳ですから、こんなことは露ほども思わなかったですけど。そもそもご本人を(映像でも実際にも)見る機会が絶無でしたし。




「ア・イ・シ・テ・ルのサイン ~わたしたちの未来予想図~」


中島みゆきが生まれてから十三年後の一九六五年、五月の北海道で今度はこの歌姫が生を受けます。一九八九年にドリームズ・カム・トゥルーのヴォーカルとしてデビューすることになる、吉田美和です。とすると、彼女が四十二歳になるのは二〇〇七年でして、この年の十月にリリースされたドリカムの四十枚目のシングルがこの曲になります。同時期に公開された松竹映画『未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~』の主題歌で、オリコン週間ランキングでは初登場二位を記録しました。作詞作曲は吉田美和、編曲は中村正人です。

本作がリリースされる何日か前、吉田のいわゆる内縁の夫がまだ三十代という若さで急逝しました。だからこの歌を引っさげてテレビの歌番組に出る予定は漏れなくキャンセルとなり、ドリカムがテレビに復帰するのはこの年の十二月末となりました。当時の彼女と同世代になってみると、よく二カ月ちょっとでカムバックできたな、大変だったろうなと感嘆します。この歳で、籍を入れない事実婚とはいえそれまで私生活でいろんなことを共にした連れ合いを亡くすというのは、かなりのきつさがあるはずです。だって本当に「これから」じゃないですか。そりゃ男女の話ですから、余人には分からない所も多いでしょうし、そもそもミュージシャンなんて「身内の冠婚葬祭より仕事を優先しないと食っていけない職業」ではあるんですが、それにしても。


(三坂陽平)