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編集余談

過日、WOWOWで放送されたビーズのコンサートを観ました。会場は大阪の長居公園近くのスタジアム。私は大阪に住んでいますが、このコンサートに足を運んではいません。行ってみようかなと思いはしたんですけど、デジタル・チケット制だったんで、スマホやタブレットを持っていない私は、行きようがなかったんですね。

だからというわけじゃありませんが、鑑賞しての感想は、正直、「行かなくてよかったな」でした。

別に彼らのパフォーマンスが不出来だったというのではありません。フロントマンの稲葉浩志は公演当日、足を怪我していたとかで、開演前にその旨が告知されていたけれど、それでも全体的に健闘していたと思います。身体の一部が不調だからか、歌唱面では若干不安定な所も散見されましたけど(歌声は身体のいろんな部位の筋肉をあれこれ総動員して出すものですから、そこは仕方がありません)。

じゃあ何が悪かったのかというと、演出です。照明が全体的に眩し過ぎた。とても観ていられない。実際、客席にはサングラス着用でいる男性もいました。私は、液晶テレビで観ていて気分が悪くなるくらいでしたから、たぶん実際に現場へ行っていたら不平不満の嵐を言い立てたでしょう。だから「行かなくてよかった」なのです。

二〇一〇年前後、コンサートの照明のみならず、生活のさまざまな分野で従来の白熱灯からLEDへの交換が進みました。LEDは白熱灯より寿命が長く、消費電力も少ない。おトクだ。もう一切合切LEDにして、白熱灯は日本市場から撲滅しよう。それが政界と財界の「LED推進」の際の言い分でした。

しかし、ここには重要な問題が隠されています。それは「LEDは人間の身体に悪くないのか?」です。これを誰も問わなかった。言い換えれば、身体性を無視して経済効率だけを論点にしたところに、LED推進派の欺瞞はあったということです。

LEDが発する光の特徴は何か? 一般には指向性の強さと言われています。でも「指向性の強さ」とか言われても、フツーの人はよく分かりませんよね。そこで私なりに調べたのですが、要するに、LEDは「白熱灯とか自然界の炎みたいに光が全方位に向く」がないということみたいです。一定の方向にだけ集中的に発光する。それがLEDの特性らしいのです。

自転車やクルマのLEDライトって、真正面だと呪いたくなるくらいに眩しいですけど、斜めからだと豆粒みたいなショボい光に見えますよね。それはこういうカラクリゆえの現象らしいのです。

で、一定方向に集中してぴかっと光るわけですから、人間の目には「LEDはきつい」となるわけです。

インテリア方面の話だと、LEDの浸透に伴って「間接照明」という概念が広まったと聞きます。LEDは最早「直接」だと照明としてきつい。そう考える人が全国に多くいるんでしょうね、たぶん。

LEDにはこうした問題点もある。そのことを電機メーカーや政治家、官僚が把捉していなかったとは考えられません。彼らにだってそれぞれ身体があるのですから、LEDの問題点は体感的に分かっていたはずです。でも彼らはそのマイナス面を公言しなかった。たぶん、目先の買い替え需要だけを見込んで、身体への悪影響は無視したということでしょう。

ちなみに、二〇一〇年前後にLEDを推進した政治家には、与党幹事長でありながら二〇二一年に選挙で落選した(比例選挙で復活当選しましたが)甘利明もいました。あまり(甘利)に「明」るい、と言い得て妙な話ですね。

私はLEDそのものを否定する気はありません。たとえば、白熱灯は点灯する際に熱を帯びますから、熱に弱い美術品などへの照明にはLEDの方が向いていると思います。LEDだって使用量によっては熱を帯びるみたいですけど、一般的な照明に使う分には白熱灯より熱が少なめだと聞きますから、そういう適材適所はあっていいと思っています。

でも、なんでもかんでもLEDにというのは、ある種の暴力です。だって従来の白熱灯より人間の身体に悪いんですから。経済効率を優先して人間の身体性を無視するというのは本末転倒でしかありません。

なぜ本末転倒なのか? バカバカしいとは思いますけど、一応簡単に説明しておきます。効率が大事と言い立てる論者は、じゃあ即座に自死しなさいと反論されたら閉口するしかないからです。なんでかというと、人間は必ず死ぬからです。死亡率一〇〇パーセント。それなら、最も効率的な生き方とは、さっさと死ぬことに他なりません。「効率を優先して身体性を無視する」とこういう帰結になりますが、それでいいとは思わないでしょう?

ただ、私のいう「ある種の暴力」は、ここ十数年で全国的にドラスティックに浸潤しました。たぶん、コンサートなどの興行においても、LED以外の照明媒体はもう選択肢として実質的にないでしょう。それくらいLEDの寡占化が進んだ。今回のビーズのコンサートに対する「行かなくてよかったな」という感想は、その結果なのでしょう。

繰り返しになりますが、LED自体に有用な側面があることは否定しません。でも「LEDしか選択肢がない」は、誰もハッピーにしないと思います。より正確に言えば、ハッピーになる人よりアンハッピーになる人の方が多かろうということです。多くの人をアンハッピーにする産業や政治に、一体どんな存在価値があるんですかね?


(三坂陽平)