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編集余談

先日、私は「テレビや新聞を見る習慣がない」と書きました。たしか前々回の編集余談だったと思います。改めて言うまでもありませんが、私が書いたことは、単に「書いてあること」を意味するだけです。たとえば「ジョギングする習慣がない」とか「女性にチョコレートを贈る習慣がない」というように。

しかし、マスコミが「マスゴミ」と下品になじられるようになって久しい今日では、テレビや新聞を見る習慣がないとわざわざ表明することは、ともすれば「マスコミの質が劣悪だから私は見ない」を意味しかねません。少なくとも、そう読まれる可能性を多分に含んではいるでしょう。

果たしてマスコミの質は劣化しているのか? 正直なところ、私には分かりません。だって「テレビや新聞を見る習慣がない」ですから。

とはいえ、全く見ないでもありません。だから時々、テレビや新聞からの引用が、私の書く記事の中にあったりします。そして、私のみならず多くの人が、たとえばウィキペディアなどで「テレビや新聞からの引用」をしています。それは取りも直さず、なんだかんだ言ってもテレビや新聞には社会的信用がまだあるということなのでしょう。そうでなければ、わざわざ引用なんかしないと思います。面倒くさいですからね。

「テレビや新聞には社会的信用がある。そんなことは知っている。なんたってマスコミは『第4の権力』と呼ばれるくらいなのだから。だからこそマスコミの質の劣化が問題なんだ」と、言う人は言うでしょう。社会的信用を負うはずのマスコミが、信用に足りないクオリティに堕している。それが由々しき事態なのだ、と。

でもなぁ、と私は思います。新聞はさておくとして、テレビってそんな大層なもんなんでしょうか? と。

テレビがしょうもない番組ばかりやるようになった。そういった慨嘆は、今時珍しくもなんともないのでしょう。珍しくないからこそ、テレビの時代はもう終わった、なんて言われたりもします。

しかし、私は軽々にそれを肯うことができません。だって、「テレビってそもそもしょうもないものなんじゃないの?」と思うからです。テレビ関係者の方には怒られるかも知れませんが。

テレビというメディアの特徴は何か? 電源をONにしたら、いきなり家の中に闖入してくることです。大多数の人はテレビを家で観るはずですから、この表現はそう間違っていないはずです。新聞が入ってくるのはせいぜい自宅ポストまでですし、テレビ以前の娯楽は「こちらからわざわざ出かけて行くもの」でした━━映画とか演劇とか。

この特徴を踏まえると、テレビが「ちゃんとしたもの」だと私達は困る。そう思います。なぜかと言うと、だいたいの人は、家の中ではちゃんとしていないからです。部屋着で、女性ならメイクを落として、楽なスタイルでだらっとしている。私達の多くは、家ではそうしています。ろくに片付けもせず、こたつに下半身を入れ、座布団かクッションに横たわり、のんべんだらりとスマホを見たり鼻をかんだりしている。それが大多数の人の「家でのありよう」ではないでしょうか。家はリラックスする場ですから、それが当然なのです。

そんなところに「ちゃんとしたもの」が入ってきたら困ります。だらけきった場所に「ちゃんとしたもの」は、TPOに反するからです。それは田舎の3階建ての庶民向けスーパーに、ブリオーニのスーツで上から下までびしっと決めた、ヒゲも綺麗に剃ったビジネスマンが入店するようなものです。迷惑とまでは言いませんが、不自然極まりない。

私達は、多くの場合、家ではちゃんとしていません。他人に見られたくないというくらい、だらけきったスタイルであるかも知れない。そしてテレビはそこに溶け込まなければいけないのです。そういう宿命を負っている。それなら、テレビはむしろ「しょうもない」くらいが丁度いいのです。

テレビの本放送が始まったのは1953年。その後、テレビ受像機が一般家庭に普及したのが1960年代。この時代に、テレビを「低俗」とか「俗悪」と難じる手合いはもうすでにいたと言います。そして学校でのいじめ問題が顕著になってくる1970~80年代になると、PTA等が「子供に見せたくない番組」を発表するようになる。どうやらテレビは、その草創期から「しょうもない」を宿命づけられていたようなのです。

ところが、テレビは同時に、面白いものでないといけません。面白くなければ誰も観ないからです。これがテレビの難儀なところです。それは「しょうもない」であっていい。けれども面白くないといけない。どうすればそんなものが両立するのでしょうか? 

答は「カネや手間をかける」しかないんですね。しょうもないものなど、私達の日常にいくらでもあります。でもそこに「カネや手間をかける」と、途端に「面白い」に変わる。たとえばフジテレビ系の「逃走中」なんて、カネと手間をかけた「壮大なかくれんぼ」と言っていいでしょうし。

ユーチューバーにしても、再生回数を稼ぐ人は「カネや手間をかける」をしているはずです。それなりのカネを先行投下して、企画や編集に手間をかける。そうしないと、人が観て面白いと思うコンテンツは、なかなか作れないと思います。言い換えれば、何らかの事情でテレビが「カネや手間をかける」をできなくなったとき、テレビの終焉は確かに訪れるのかも知れません。


(三坂陽平)