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■ 2月28日から3月30日にかけて、「靴」をフィーチャーします。







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編集余談

二年前(二〇二三)に不同意性交罪が成立した。当事者同士で同意(合意)を形成していない上でのセックスはレイプに相当します、犯罪ですよ、と明確な形になったわけである。なるほど。でもこれを厳密に遵守するとなると、究極的に言えば男性も女性も「草食化」するしかないのではなかろうか。本稿ではそのあたりをつついてみようと思う。危ない橋だとは分かっている。が、言及しておいた方がいい気もするのである。

まず気になるのは、「そもそも合意を得た上でのセックスって何だ?」ということである。

セックスにおいて、その前段階で必ず合意が形成されていなくてはいけない。それしか許されないのであれば、畢竟、セックスする前に男女(別に同性同士でもいいのだが、面倒なのでここでは男女としておく)が互いに誓約書を交わし、その後でしか行為に及べない。そういうAV撮影みたいなルールを設けるしかなくなるのではないか。少なくとも、そうしておかないと後々不同意性交罪で訴えられる可能性が常にあることになる。男も女も。でもセックスする前に誓約書を交わすなんて、はっきり言って興醒めでしかないだろうに。個人的にはそう思うのだけど。

当たり前だが、大多数の日本人はそんなことをしていない。換言すれば多くの人は「互いに同意しているのか不同意なのか今一つ判じない」状態でセックスに臨んでいるということである。

たとえば、新人サラリーマン同士が男女混合のグループで、繁華街で飲み会を開いたとする。そのうち一組の男女が、店の片隅やら店から店への移動時間やらで、なかなかいい感じになる。そうこうしているうちに女が「ちょっと飲み過ぎて、気分悪い」と告げる。男は「え、大丈夫っスか?」と形だけの心配を表明して、女を独り暮らしのマンションの一室まで送ることになる。べろべろに酔った女は、男の介助なしには部屋まで着くのも覚束ない。そうなって若い男女が一晩、女の部屋で懇意になる。

こういう成り行きからカップルになった例は、古今東西、枚挙にいとまがないだろう。恋愛ドラマでこんなシナリオを若手脚本家が書いたら、演出家や監督から「ありきたり過ぎる、もうちょい工夫しろ」とダメ出しをされかねない。それくらいよくある話だと思うが、ではこの話のどこに「合意」があるのか?

彼らのセックスには、前段階における合意形成がない。だから女が後になって「あれは不同意性交です、私にはそういう気はなかったのに、部屋に入ったら急に抱きつかれたんです」と泣訴することもできるし、逆に男だって「あれは不同意性交です、俺にはその気がなかったのに、部屋に入った途端、あの女が急に抱きついてきたんです」と訴えることもできる。どうとでも言える。さすがに個人の部屋の中にまで監視カメラがあることは(そうそう)ないから。

さて、こういう危険性があるとなると、自衛策としてはどういうのがあり得るだろうか。誰にでも簡単にできるのは、差し当たり、「不用意に異性とくっつかないようにする」しかないだろう。だから男性も女性も「草食化」するしかないと前述した。要するに、男女共に「肉食系でいること」は大変にリスキーなのである。

加えて厄介なのは、こういう危険性は彼氏彼女や夫婦の間にも潜在し得ることである。

正式なカップルだからといって、彼らの性的な営みがいちいち合意に基づいているなんてことは(多分)あまりない。「彼がやたらとしたがるから仕方なく相手しているけど、正直煩わしい」という女もいるだろうし、逆に「彼女への愛情はとっくに冷めていて、もう彼女とセックスするのは苦行でしかないんだけど、義理で相手せざるを得ないんだよね、一緒に暮らしていると逃げ場所もないし」とこぼす男もいるだろう。

となると、彼氏彼女や夫婦の間柄であっても、相手を不同意性交で訴えることは充分あり得るわけである。カップル間でどちらかが相手に対してセックスを強要することはモラハラだ。そういうコンセンサスは、既に世間に少なからずあるわけで、ここから「不同意性交で訴える」まで、そんなに距離はないだろう。そうすると、彼氏彼女や夫婦であっても、相手に対しておちおち手を出せなくなる。売春の需要が今より増えるだけの気もするが、そんな社会の実現を誰が望んでいるのか、私には到底理解できない。

痴漢やレイプに遭ってトラウマに悩まされる被害者(男であれ女であれ)や、強制的に輪姦なり強姦なりをされて望まない妊娠をした女性などについては、本当に気の毒だと思う。加害者は厳罰を科せられるべきだし、被害者には相応のケアが施されてしかるべきだろう。そう思うし、加害者を擁護する気は毛頭ない。そこは声を大にして断っておく。

しかし、かと言って「セックスの前に合意形成をする必要がある」と言われると、それはそれでちょっと違うんじゃないのと思う。その理由は本稿で述べた通りである。

言うまでもないことだが、自分が望む形の人間関係だけを構築するなどは無理である。性的なものか否かを問わず、他人と関係を持つ以上、そこには自分が望まないものも大なり小なり、不可避的に混入される。言い換えれば、どこでどう過ごしても、私達は「隣人のもたらす不愉快」と、ある程度共存しないといけないのである。もちろん、受忍限度というものはそれぞれにあるだろう。無理をする必要はない。ブラック企業なんかにいたら命の危険もあるわけで、できるだけ早く逃げた方がいい。でも基本的に、対人関係においてある程度の(無理がない程度の)我慢ややり過ごしは必要なのではあるまいか。

『ドラえもん』の「どくさいスイッチ」って、そういう話だったように思うのだけど。


(三坂陽平)