日本語 | English

■ 3月31日から4月29日にかけて、歌集をフィーチャーします







Atom_feed

編集余談

東京オリンピックは夏に開催される予定なんですってね。それで聖火ランナーが日本各地を走っているんですってね。新型コロナウイルスの世界的なパンデミックで、まだ選手選考さえ出来ていない国もあるのに、大会を開こうというのは「国際状況に目を向けていない」ではありましょうね。もちろん、無事に大会を開催できる見込みはほぼゼロですね。

大会運営サイドとしては「中止」を自主的に言いたかないでしょうね。中止にするなら「うちは開催国としてやる気満々だったんですけど、他の国の人達が無理だって言うから、止むを得ずですね‥」が望ましいですね。そうすれば、スポンサーへの説明責任も最小で済みますもんね。責任を取りたくない人のメンタリティとはこんなもので、だから自発的な中止など誰も宣言したがらないし、聖火ランナーも無駄に走らなくてはいけないんでしょうね。

そのありさまを見て、私はただ哀れだと思いますが、しかし聖火というものは(当たり前ながら)ただの炎ですね。炎には、見る人を興奮させる何かがあります。放火犯というのはいても、放水犯はいないですもんね。炎を掲げて走るというのは、見物客もランナー自身も多少はわくわくするでしょうし、勝手にやればいいと思います。「炎のケータリング」とか言ってね。聖火ランナーもウーバーイーツも、やっていることは同じ、運び屋ですからね。

近代オリンピックはここまでくだらないものになりました(いっそ庵野秀明をトータル・ディレクターに迎えて「シン・オリンピック」とかにすればいいんじゃないかな、絶対引き受けないと思うけど)。だから私は「オリンピックでゲートボールをやればいいのに」なんてことを言います。

ゲートボールは、戦後日本で発祥した球技です。おそらくはパターゴルフを起源とするもので、競技者は「スティック」と呼ばれる棒で、地面に置かれたテニスボールくらいのサイズの球をこんと打ちます。その球はころころ転がる。持ち前の球が、コース上の「ゲート」と呼ばれる小さな門をくぐれば一点、規定のゴールに入れば二点が入る。それを何ホールかで繰り返し、制限時間内にどれだけ点数を稼いだかを競って遊ぶ、というものです。

正式なルールは知りません。正式ルールでは五人づつのチーム対抗戦、という人もいますが、私はそんなチーム戦をしたことがない。ただ、棒で球を打つ。打った球をゲートやゴールに入れる。それがすべてだったと記憶しています。

なんと私は、小学生の時分にゲートボールをしたことがあるんですね。インド人もびっくりですね。今ではどうか知りませんが、昔は「ゲートボール=老人のスポーツ」でしたからね。老人といえば、ゲートボールかラジオ体操。そういうものだったんです。

私が小学生の頃(九〇年代前半と思ってください)は、休日に学校の運動場へ行くと、保護者らがバザーやらキックベースやら餅つき大会やら、いろいろとやっていました。その一環で、老人達がこのゲートボールをしていたのです。当時、母が子供会の役員をしていたので(ベルマークとかを集めていた覚えがありますけど、あれ何だったんでしょうね。今でもあるのかな?)、私はこの「催し」に何度かくっついて行ったことがあります。

で、ある日、そのゲートボール(みたいなもの)で遊ぶことになった。そんな記憶があります。その「催し」でたまたま顔を合わせた、同級生の女子Nさん(彼女は後に転校してしまった)と二人で何ホールかを回りました。

だから、もしかしたら私のなかでのゲートボールは「幼い男の子が同い年の女の子とデートした」に近いかも知れません。ただただ楽しかった。それだけが思い出です。

ゲートボールで楽しいのは、スティックで打った球がころころ転がり、相手の球に当たることでしょうね。相手の球は想定されたコースを外れ、と同時に、自分の球も想定外のところへ行く。やられた方は「おいおい、何しやがる」でしょうが、やった方だって自分の球がどうなるかはわからない。こういう波乱含みでこそスポーツであり、プレイヤー同士の(ちょっとした)コミュニケーションにもなります。男女二人でプレイしていれば、相手がちょっと気になる場合には、相手の球に自分の球を当てるという形で、公然とちょっかいを出せたりもするわけです。度が過ぎれば嫌がられるでしょうが、それも含めてのコミュニケーション。正式ルールでは妨害行為にあたるかも知れませんが。

オリンピックでもそれをやればいいのに、と思いますね。「おおっと、一番が四番にアプローチ。さぁ四番、どう出る?」「ああっと、四番、まるで意に介さず! 残念。一番、空振りに終わりました」みたいなね。スポーツだかねるとんだかわかりませんが、「平和の祭典」ではある気もします。


(三坂陽平)