編集余談
二〇二五年一月二十八日、埼玉県東部に位置する八潮市で、県道の一部が突然陥没し、一台のトラックが呑み込まれるという事故が起きた。とはいえ、私は大阪府在住なので、この事故から直接的な被害は受けていない。そもそも八潮市自体行ったことがないし、赴く用事も差し当たりない。
にもかかわらずと言おうか、部外者ながらこの事故はなぜか気になる。なんというか、この事故はある種のメタファーに見えなくもないのである。つまり、一見何の変哲もない私達の足元は、実は極めて脆く、いつ崩落してもおかしくないことを、あの陥没事故は象徴的に物語っているのではあるまいかと。
今回の眼目はそこである。
話は一旦「コロナ禍」の頃へと遡る。だいたい二〇二〇年前後と見てくれればいい。その頃に流行ったものがどうなったか。大半は「ブームが落ち着いた」に直面し、多くの場合、廃れる途上にある。
たとえば高級食パンなどは、もう明らかに廃れている。店舗はまだある所にはあるが、新規出店を目論む人はおそらく皆無だろう。今後十年のうちに、今は開いている店舗も(十中八九)なくなると私は見ている。個人的には、高級食パンを買ったことがないので、店がある間に一回トライしてみようかと思いはするが、残念ながら近所にない。わざわざそのためだけに遠出するのもナンであるし。
ウーバーイーツや出前館も廃れている。もともと「コロナ禍」前からああいうサーヴィスはあったが、パンデミックにより外出を控えて食べ物を出前で取る人が爆発的に増えたことを受けて、その知名度が爆発的に上がった。しかし、それもパンデミックの収束に比例して尻すぼみ。依然としてサーヴィスはあるし、自身を運び手として登録している人も多くいようが、サーヴィス利用者の総数は減少傾向にあると見える。浜田雅功を迎えてコマーシャルを打つだけの力は、おそらくもうないだろう。
ウーバーはコンビニと提携して出前サーヴィスを継続させようと企てたが、そもそもコンビニの弁当とか飲み物というのは、実際に行ってこそ買いたくなるものではないか。個人的にはそう思う。食べ物や飲み物を専らに欲するなら、そのへんの定食屋やレストランから出前を取る方が、よっぽどいい。チェーン店でいえば、サイゼリヤとかモスバーガーとか。過疎地のコンビニなら需要はあるだろう、と言う人もいるかもしれないが、過疎地には出前をいつでも引き受けてくれる運び手がそもそもいないのではなかろうか。
と、こういう流れにあって、サブスクリプション・サーヴィスもじつは同様の苦境にあると私は見ている。前述のように、パンデミックのため巣ごもりする人が増えた。そこで月額いくらかで好きな映画やドラマがネット回線を通していつでもどこでも観放題というサブスクリプション・サーヴィスが一気に普及した。その隆盛を見て、よその業種も「これからはサブスクが受ける」と思い込んだのか、パンデミック下でいろいろな月極サーヴィスが林立した。
ところがネットフリックスにしろディズニー・プラスにしろ、成長率に陰りが見えて久しくなっている。もうサーヴィスは行き渡るだけ行き渡ったと見え、今や「契約し過ぎたサブスクを断捨離する」までに至った人も多い。つまり、興隆期は過ぎて淘汰が始まっている。聞いた話では、映像配信系で一番充実しているのはUネクストらしいから、今後数年のうちにFODやHuluあたりは撤退してもおかしくない気がする。
話は、おそらく音楽配信でも変わらない。今やサブスクは「どこが淘汰され、どこが生き残るか」の局面にあり、スポティファイもアップル・ミュージックも決してお気楽極楽ではない。過去にiポッドをあっさり打ち切った例を見るに、彼らは「ユーザーのために」などとは一切考えず、カネにならないと判断すればあっさり(ビジネスライクに)撤退を実行するだろう。キズが深くならないうちに撤退するのは、ビジネスのセオリーでもあるからして。
何社かが撤退しても一つ二つでもプラットフォームが残れば、ユーザーとしては困らない。そう思うかもしれないが、何社かが撤退したということは、複数の企業が「現行のサーヴィスではもうペイしない」と判断したということに他ならない。でなければ撤退なんかしない。そういう状況下では、残った会社も「そうだよな、うちもさっさと撤退した方が賢明だよな」と考える可能性が高かろう。それは即ち「サブスク音楽配信の終焉」に繋がるものである。
そうなって、リスナーは「まぁいっか、CDで聴けば」となるだろうか。そこは分からない。そう思う人も出てくるだろうし、あるいは「もういいかな」と思って音楽鑑賞そのものから撤退する人も現れるだろう。どう反応するかは、人それぞれだと思う。
ただ、その時まで「CDをCDとして売る」体制が保たれているのか? 私はそこを不安視する。当たり前だが、歌手や音楽家が楽曲をレコーディングし、それをCDに落とし込み、丁寧にパックされて私達の手元にその盤が届くまでにはいくつもの過程がある。そのそれぞれに人手がかかっている。CDを実際に運ぶ運転手から、取次の電話窓口まで。
そういう人達の仕事を、サブスクの普及やそれに伴うCD不況は、あっさりと(ビジネスライクに)奪いかねない。そして一旦なくなったものは、多くの場合、取り返しがつかない。そうなったら、CDが今までのように人々の手元に届くことはなくなるだろう。カネなら出すとリスナーがいくら喚いても、そのカネを受け取る人間が要路にいなくなれば、何の意味もなさない。
こういうことが、おそらくいろいろな業界で(水面下で)起こっている。業界というのは概して閉鎖的なものだから、その進行は普通の庶民には見えない。見えない以上、誰も気にとめない。それはある日突然やってくる。でっかい穴が地面にあいたように現れて、人々の度肝を抜き、呆然とさせ、震えさせる。運が悪ければ、その穴に呑み込まれるかもしれない。埼玉県八潮市で道が突然大きく陥没した事故と同じように。
(三坂陽平)