日本語 | English

■ 1月31日から2月27日にかけて、チョコレートをフィーチャーします







Atom_feed

編集余談

「ハラスメント」について考える。

セクハラ(セクシュアル・ハラスメント)、パワハラ(パワーハラスメント)などは、すでに社会に一般的言語として登録されて久しいが、最近ではモラハラ(モラルハラスメント)やカスハラ(カスタマーハラスメント)など、新手のハラスメント概念がマス・メディアを介して増殖しているらしい。

幸か不幸か、私のところには女性従業員というものが存在しない。別に性差別でそうなっているのではない。そんなのを雇う余裕がないだけのことである。でもまぁ募集もしていなければ、雇ってくださいと門を叩く女性もいないわけだから、ある意味で需要と供給がマッチしていると言えようか。

だから私は、少なくともセクハラというものは構造的に縁遠いだろう。なんとなくそう思っていた。でも果たして本当にそうなのか。そもそも「ハラスメント」とは何なのか。そのあたりがふと気になった次第である。

ハラスメントとはもちろん英語である。手元の『フェイバリット英和辞典』(東京書籍)によるとharassmentの語義は、
1. 悩ます[される]こと、いらいらさせること;いやがらせ
2. 疲労感、いらだち
この2つである。ではこの単語の由来はというと、フランス語のharassement(アラスマン)で、意味は「深い疲労」らしい。なるへそ。

つまり本来的なハラスメントとは「いやがらせ」と言うよりも「疲労困憊した状態」を指すのではないだろうか。そういう解釈もできると思う。人間関係における極度の疲労。それがハラスメントの本質ではないかと。

「こいつといるとやたら疲れる」という人は間違いなく存在する。デートするのだけど、やたら(精神的に)くたびれてしまって、さっさとさよならして、帰宅してベッドに1人で横たわったときに、深く息をついて安堵してしまう。そんな相手(女性)が実際にいたことがある。もちろん人によっては私がその「こいつといるとやたら疲れる」相手かもしれないのだけど。

そういった疲労が一回性のものならば耐えることもできる。でも連続して来られるときつい。そして往々にして人間関係というものは連続的であり、逃避や回避が困難な場合が多いのである。やがて虚脱感と疲労感だけが日常的に蓄積し、肌や目から生気は失せ、無表情がデフォルトになり、ある日ついに受忍の「限界」を超える。クルマの排気ガスを毎日ちょっとずつ吸っているうちに胸を悪くし、とうとう肺癌を患ってしまうように。それこそがハラスメントを訴える人の心理なのだと思う。気持ちはよくわかる。

「こいつといるとやたら疲れる」という人とは、具体的にどういう人か。個人的な経験で言うしかないが、それは「相手の気持ちを考えない人」か、もしくは「自分を出さない人」か、どちらかである。

このうち、後者はまだ救いがある。放っておけば(直接的には)それほど害はないケースが多い。厄介なのは前者で、彼らはその定義上、「相手の気持ち」などお構いなしなので、こちらがどうであるかに関係なく向こうから無造作にやってくる。そして以下のようなセリフを吐き続け、相手を「疲れ」させる。

「子供つくらないの?」「あんたって本当に何もできないわね」「きみね、今のままじゃ誰も相手にしてくれなくなるよ」。これらの言葉は、場合によっては正論かもしれないし、言った本人は親しみや善意のつもりで発したのかもしれない。しかし言われた方は間違いなく「疲れる」言葉である。少なくとも相手を賦活したり関係性を良くしたりする効用はないと言っていい。

結論としては、いかなる関係においても、ハラスメントを防ごうと思うなら、相手を追いつめるような(相手が返答に窮してしまうような)言動を控えて、その関係の風通しをできるだけ良くするように心がける。そしてお互いに疲労感が「蓄積」しないようにする。差し当たってはそれしかないのではないか。なんだか常識的な着地点でアレだけど。


(三坂陽平)