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■ 6月30日から7月30日にかけて、「日本のジーンズ」をフィーチャーします。







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編集余談

こんにちは。今月は「日本のカバン」をフィーチャーする形で、いくつか記事を書いてきました。ただ、紹介しておいてナンですけど、読んで「モノは良いのかも知らんけど、高いよなぁ」と思った人もいるのではないでしょうか。何万円もするんですから、確かに安いとは言えませんよね。中には「まぁ、でも一生モノを買うと思えば」と言う人もいるでしょうが、個人的にはカバンとか服においては、「一生モノ」というのは存在しないと思っています。つまり、洩れなく消耗品であると。

今回はこのあたりを掘り下げて語りたいと思います。

のっけから前言撤回するようでアレですけど、一生使えるカバンや服もなくはないでしょう。たとえば、最愛のパートナーが(昔話に出てくる鶴のように)こつこつと内職的に作ってくれたカバンや服とかであれば、一生モノ足り得ると思います。そのアイテムがくたびれたり破れたりしても、パートナーがその都度細かくリペアして延命させてくれれば、「一生使える」もあり得るのではないかなと。それはそれで素敵なことだと思います。

でも服を自宅で作るのが一般的だった昭和中期までならともかく、二〇二〇年代後半の現代日本では、そういうケースってそこまで多くはないと思います。実際、私も今まで何人かの女性とお付き合いしてきましたけど、ハンドメイドの服やカバンを頂戴したことは(残念ながら)ありませんし。

多くの人は、ネットなり店舗なりで「買う」という形でカバンや服を入手するはずです。そしてそういう広く売られているカバンや服について言えば、一生モノなどない。基本的にはそうだと思います。どれだけ高価で、どれだけ良質であっても。

高いカバン。高いスーツ。高い革ジャン。高いコート。高価で良いアイテムはいろいろと遍在しています。上を見ればそれこそキリがありません。セレクトショップの限定品から、ロロ・ピアーナなどラグジュアリー・ブランドまで、いろいろあります。でも残念なことに、経年変化しないアイテムというのは、どこにも存在しません。すべてのアイテムは、時間の経過と共に大なり小なりくたびれてしまう運命にあるのです。白シャツであればあちこち黄ばんでくるし、カバンであればボロッとした佇まいに落ち着きます。遅かれ早かれ。

そしてくたびれたアイテムというのは、だいたいの場合、それを買った時ほど魅力的には映らなくなります。去年一目惚れして買ってがんがん着ていたあのシャツが、今年の衣替えの際に行李から出してみたら、なんとなくくたびれて見えて、着ようという気がまるで起きない。そういう経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。

反対に、間に合わせで買ったつもりのモノが、意外に自分にフィットしていてお気に入りになったというケースも少なくありません。でもどちらのケースにしても、「使っているうちに経年変化でくたびれる」は避けられません。それは道具(アイテム)の宿命なのです。

と、ここまでの話で早合点する向きもあるかもしれません。「なるほど、言いたいことは分かった。そこそこ安くてそこそこの質のモノを買った方が、結局コストパフォーマンス的にいいだろうってこったな」と。

私はそういう打算的な、コスパ重視論を打ち出しているわけではありません。

確かに、最近のファスト・ファッションの店(ユニクロなりグローバルワークなり)では、そこそこの値段でそれなりにクオリティなアイテムが買えます。それは彼らの企業努力の成果でもあり、グローバル資本主義の恩恵でもあるのでしょう。そこは否定しません。でもいくらコスパが良いからって、買いたくもないものを買うとか御免じゃないですか? 少なくとも私はまっぴらです。

カバンとか服とかって、コスパや機能や使い心地も大事ですけど、それだけではない、「快・不快」も絡んでいると思うんです。

だから、高くても安くても、ファスト・ファッションでもハイブランドでも、あなたはあなたが惚れ込んだアイテムを(無理のない範囲で)買うのが一番だと思います。ただ、そのアイテムと過ごす時間は有限であり、一生添い遂げることはないと思っておいた方がいいんじゃないですかと申し上げるだけです。アイテムが経年変化するということもあるし、あなた自身が経年変化するということもあるわけですから。

「これは一生モノだ」と決め込んで買うと、その一時の決心がのちのちの人生を縛る、ある種の「負債」になる気がします。あの時「これは一生モノだ」と決めて買ったんだから、捨てたり売ったりするのは過去の自分を裏切るようでイヤだな、みたいなね。結婚もそういうところはありますが、あれは社会契約だからであって、カバンや服にその手の繋縛性は(本来)ないはずです。

だからまぁ、私の「一生モノなんてない」という考えは、未来の自分の自由を担保するための、ある種の方便と言えるかもしれません。本当のところ、そのアイテムが一生モノになるかどうかは、持ち主がこの世を去る時にならないと分からないんですし。


(三坂陽平)