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■ 8月31日から9月29日にかけて、「和菓子」をフィーチャーします。







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編集余談

日清カップヌードルが発売50周年だという。つまり、1971年に日清食品は同商品を発表したということ。ふうん、ではあるが、別に50周年を迎えたからといってカップヌードルが特別に安価で売られるわけじゃなし、庶民には「だから何?」ではあろう。そもそも、現時点(2021年)で日本人の半分以上は50年前にはまだ生まれていないし。

そういうわけで、ここでは時計の針を50年前に戻し、1971年の話をしてみようと思う。

日清カップヌードルは、今では誰もが知る即席カップラーメンであるが、実はこれと同じ年にもう一つの「ファスト・フードの雄」が日本に現れた。7月、マクドナルド第1号店が東京銀座の三越にオープンしたのである。この年は、今にまで続く「ファスト・フード元年」と言ってもいい年であろう。

とはいえ、現時点から見れば「マクドナルドが銀座の三越に?」という疑問もありえると思う。当時も今も、ハンバーガー・チェーンと百貨店は、印象的に正反対のものである。「なんでまた?」ではあろう。

前年には東京都知事が、休日の盛り場にクルマが入れないようにして、道路を歩行者に開放する「歩行者天国」を実現した。その流れがあってこそ「三越にマクドナルド第1号店がオープン」なのであろうが、それにしてもな、と思うところではある。何が起きてそんなことになったのだろうか?

銀座が華々しい繁華街だったのは遠い過去で今や━━とは、別に今に始まったことではない。1960年代末期の時点で、銀座は「繁華街」の座から遠のきつつあった。だからこそ、起死回生の策として銀座三越はマクドナルドを誘致せざるを得なかったのである。

1940代後半のベビー・ブームで大量に生まれた「団塊の世代」は、この頃には「若者」になっている。急速に人口が増えた東京は、その人口増への対応として、郊外の開発にいそしんだ。東京の多摩丘陵を削って出来た多摩ニュータウンが入居開始したのは、これまた同じ1971年の3月である。

「郊外の町から都心に通う」という生活様式が一般的になると、それに伴い、繁華街となる町も微妙にずれてくる。1960年代半ばくらいまで、東京に住む庶民にとって繁華街にある百貨店(デパート)は、家族で休日におしゃれをして出かけるスポットだった。しかし人々の住まいが郊外へ移るにしたがい、繁華街の座は、徐々に新宿や渋谷などターミナル駅へと移ってしまう。銀座の地盤沈下はこうして起こる。

若者は渋谷や新宿、池袋へ流れてしまう。だから銀座三越は、客を呼び込む策としてマクドナルドを誘致する。しかし、若者にとってはマクドナルドやそれを追随するファスト・フードの店が重要なのであって、銀座も三越もどうでもいい。マクドナルドにしても、銀座に固執する理由は特にない。客が来てくれさえすれば、どこにだって出店する。かくして銀座の繁華街としての蘇生は、あえなく頓挫する。

1970年代初めとは、いわゆる「団塊ジュニア」と言われる第二のベビー・ブ―ム世代が生まれる時代でもある。多摩ニュータウンは完成した。しかし、人口増の時代なのだから、それだけですべての都民を収容できるというわけでもない。増え過ぎた人口はやがて東京都という行政区からはみ出し、隣接する埼玉県、神奈川県や千葉県をも、東京の「郊外」にしてしまう。

この東京の肥大化があればこそ、ファスト・フード産業の成長もありえた。郊外から都心へ多くの人がはるばる通う。そうすると、ゆっくり食事をしている余裕はどうしたってなくなる。手っ取り早く食べられるものが望ましい。そういうスタイルが一般的になってしまうのである。

それは東京やその周辺地域の事情であって、日本全国にあてはまるものではなかろう。そう言う人もいるかも知れない。しかし当時、流行やトレンドは常に東京から発信されるものだった。地方には独自の都市計画を進められる頭脳がなかなかなく、ただ地方を「東京化」する以外に方策が思いつかない。だから「銀座」と付いた通りは全国の商店街に散見されるし、地方の住民は、ファスト・フードのチェーンを地元にも、と渇望する。東京のスプロール現象も、やがては全国にコピーされてしまうのである。

今でも地方には「ご当地カップめん」や「ご当地レトルトカレー」などファスト・フードを追求する向きがあるが、これは地方民が1970年代の方向性を引きずっている証拠でもある。

ファスト・フードは人口増の時代に要請されたものであって、人口減少時代に相応しいとは言いにくかろう。それで、日清カップヌードルが発売50周年を迎えても、庶民は「だから何?」なのである。


(三坂陽平)