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編集余談

今回はもともと東京都知事選について書こうと思っていた。遅ればせながらのネタだとは思うが、あの選挙結果は(少なくとも私には)存外に重要なことを示唆していたように見えたから。と、そんなことを考えていたら、同じ時期に兵庫県知事にまつわる問題がクローズアップされて、あれよあれよという間に全国ニュースになってしまった。そこで、大阪府民である私としては、「東京より兵庫の方を論じた方がいいかな」と思い、兵庫県知事にまつわる話を以下述べることにする。

今年の三月、兵庫県政内部でちょっとしたクーデターが起こった。兵庫県知事のあるまじき行為(パワハラなど)を、当時の西播磨県民局長が告発したのである。これだけならどこの組織にも多かれ少なかれあるであろう「ちょっとした内乱」であるが、後日、事態は不穏な様相を見せる。七月上旬、告発した元局長が同県姫路市にて落命した姿で発見され、警察は「自殺の可能性」があると発表した。元局長は本当に自ら死を選んだのか、それとも誰かによって暴力的に消されたのか。そういう憶測が(当然)西へ東へ飛び交い、全国から視線が兵庫県知事に注がれる。

世間は兵庫県知事の動向に注目し、知事は「辞職する気はない」の強硬な姿勢を打ち出した。七月十二日、副知事が辞職を発表し、その会見で元副知事は、知事にも一緒に辞めましょうと進言したが断られたと語る。波風は立つばかりで、しかし当の知事は、辞職を勧める声に耳を貸すことなく、何かの一つ覚えかのように「知事職にとどまって県政を全うする」と繰り返す。

この兵庫県知事は東大出の元総務官僚で、二〇一八年には大阪に出向し、財務部財政課長の職に就いた経歴がある男性である。つまり、大阪府政を実質的に牛耳る政党=維新の会と密に繋がりを持っているわけで、二〇二一年に彼が兵庫県知事選に立候補した際は、維新の会と、国政上の最大勢力である自民党の両党が彼を応援するという奇妙な(というほどでもないか、維新の会は自民党の分家に過ぎないわけだから)連動も起こった。

自民党と維新の会がバックアップする以上、組織票だけで知事選に勝てるのであろうが、晴れて兵庫県知事になった彼は、県政を運営していく中で、次第に他の職員との間の溝を深めていく。神戸新聞(二〇二二年二月三日付)が伝えるところによると、彼の物言いは(その出自を考えれば当たり前だと思うが)官僚的に過ぎて、周囲の同僚には「知事の真意や本音が伝わってこない」との評言もあったという。

「官僚的に過ぎる」が知事本人の個性ではなく、官僚や元官僚に共通する流儀だとすれば、それは一種の職業病みたいなものだということになる。つまり、そのあり方を当人の意志によって変えることはひどく難しいわけである。

そう考えると、彼が頑なに知事職を辞めないのもなんとなく分かる。一般的に言って、テクノクラートは過ちを頑なに認めない。その揺るがなさは「東大を出た自分に過ちはあり得ない」という(理解困難な)エリート意識に立脚しているのであろうが、そういう人は「過ちがあり得ない以上、自らが辞職する筋はない」と結論づけるはずである。

官僚が進んで辞職するのは、自己都合で辞めたくなった時か、または「過ちを犯したとは認めないけど自分が属する組織に迷惑かけちゃったし」と考えた時かであろう。しかし彼は断固として辞職しない。私はそれを「彼はどこに帰属していると思っているんだろう?」という疑問から繙いてみようと思う。

兵庫県知事である彼が帰属する先は、兵庫県庁だろうか? 私は軽々にイエスとは言い難い。というのも、彼が兵庫県知事であるのは、有権者が選挙で彼を知事に選任したからで、別に公務員試験を突破したり面接を受けたりして県庁に迎え入れられて現職に就いたわけではないからである。

おそらく彼は、自分の帰属先は「兵庫県民」だと思っている。この考え方には一理あるとは思う。県民から知事に選任されたというプロセスがあり、税金の一部から給料をもらっているわけだから。ただ、この考え方に基づくと、兵庫県民に迷惑をかけたという事実がなければ、辞職というソリューションを彼は採らないのであるまいか。そういう推量にもなってくるのである。

今回の事件が全国に流れて、しかしそこでは「兵庫県の皆さんは、この知事や今回の事件をどう思っているのか」があまり報道されない。せいぜいテレビのニュース番組が「町行く人にちょっと聞いてみました」的な企画でちょろっと流した程度である。そして、私が観たかぎりでは、兵庫県の皆さんはいずれも歯切れの悪い曖昧なコメントしかできていなかった。無理もなかろう。三年前に自分達が選挙で選んだ人材なんだから。

兵庫県の人達は、連帯して「知事辞めろ」運動を展開するだろうか? 私には分からない。一九九五年に阪神淡路大震災があって、その復興の多くは「住民の意志を無視した、政界や財界が主導した復興」とも評された。だから私は、兵庫の皆さんは果たして「連帯」って出来るんだろうか? といった根本的な疑問とて感じないではないのである。


(三坂陽平)