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■ 6月30日から7月30日にかけて、「九〇年代の実写映画」をフィーチャーします。







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編集余談

私が暮らす大阪では今年の春から秋まで万国博覧会が開かれている。個人的に行ったことはないし、今のところ行く予定もないけども、仄聞するにそれなりの人出であるという。それはそれで結構だが、当地の客層にはかなりの割合で外国人観光客が含まれているとの話もある。

実際のところどうなのか? それはよく分からない。行った人に話を聞いたとしても、客の何割が外国人であるかをカウントしながら博覧会を回っている人なんてそうそういまい。事実、本稿を書くにあたって、先日万博に行った母に「外国人の割合はどれくらいだった?」と訊いたら、以下の答を返された。

「知らん。いっぱいいた」

親子のコミュニケーションここに極北を見たという思いであるが、そんなことはどうでもよくて、要するに万博とは「インバウンド需要をアテにした期間限定の人工観光地」だということである。だからこそ外国人が「いっぱいいた」のである。

よく万博会場内で供される飲食物が「ぼったくり価格」と難じられるが、その理由も「外国人観光客向けだから」で説明がつく。たとえば会場内で塩むすび一つを買ったら六〇〇円だという。これは日本人の平均的な感覚からすれば、明らかにぼったくりである。味が美味いか不味いかとか、コメが不足気味で高騰しているからとか、そういうことではなく、フツーの庶民の金銭感覚的に、塩むすびに出すべき金額ではない。それは火を見るより明らかだと思う。

でもこれが外国人にとってどうかとなると、また別である。

現在(二〇二五年七月)の為替レートで言えば、六〇〇円とは四ドルちょっとにあたる。

世界的な物価高もあって、欧米の観光都市で満足な食事を摂ろうと思えば、まず十~十五ドルはかかる。つまり日本人が欧米を観光旅行して現地で食事をすると、最低でも一食あたり一五〇〇円かかるのである。そこが最低ライン。良いとか悪いとかではなく、これが世界の現状なのである。であれば、外国人にとって「塩むすび一つが六〇〇円」はそれなりにリーズナブルと感じられるのではあるまいか(味がどうかはまた別として)。

日本国内で食事を摂ろうと思えば、最近の物価高騰を鑑みても、せいぜい一人あたり六~七〇〇円も出せば足りると思う。これが海外勢から見て破格の廉価であることは、誰にでも分かるだろう。つまり今の日本はそれだけ「安物」になったわけだが(ちなみに円が最も高かったのは二〇一一年の下半期で、当時は一ドル=約七十五円だった)、だからこそ海外から観光客がわんさか来るということになる。そういうインバウンド需要を狙って、今年の大阪万博が開催されていることは間違いない。

つまり、この度の大阪万博は根源的に「海外勢の落とすカネにタカりたい」として開かれているのである。掲げるテーマやマスコット・キャラクターが盛り上がりに欠けるくらいチープなのは、むしろ当たり前であろう。だって「実質的にはそんなもんどうでもいい、最低限の形になってりゃなんでもいいよ」と運営サイドは思っているんだから。祭りの的屋が、夜店で売るお面や綿菓子のクオリティーにこだわるか? こだわらないだろう。それと同じである。

畢竟、このイヴェントはそもそも「日本人向け」ではないということになる。それなら私が行く道理はないであろう。

念のために断っておくと、万博に行った日本人をここでどうこう評するつもりはない。行くのも行かないのも個人の自由である。どうぞ好きに行って、好きに感動なり興奮なり思い出作りなりしてください。心底そう思っている。他人様の内面にまで言及するなどは無作法に過ぎるので、個人的にはしたくないのです。もしかしたら開催中、私が参じることがあるかもしれないし。

聞くと、大阪府政を牛耳る維新の会はこの万博のキャンペーンに連日奔走したという。そうなんですか。税金を使って「タカり行為」に一生懸命になるっていうのは、「落ちぶれた大阪」をしか象徴しない気もしますけどね。まぁ大阪が落ちぶれたのだとしたら、その責任は、ここ十数年大阪府政をハンドリングしてきた維新の会に求められるのが妥当かなと思いますけど、当人達(とその支持層)は断固として認めないでしょうね。

何ヶ月後かに閉幕した後、この万博は新聞やテレビなどで「大成功だった」と報じられるだろう。それはもう既定路線で、それを足がかりにして大阪府は、更なる「タカり」に乗り出す。カジノを含む、外国人向けのIR施設である。万博は「外国人にタカるノウハウ」を蓄積するためのアンテナショップみたいなもので、そういう意味では確かに「成功」しているのだろうし。

おそらく、今後ますます「落ちぶれる大阪」を見ることになるのだろう。大阪府民としては、いささかブルーになるような見通しではあるし、できればこの予想が外れてほしいとは思うのだけれど。


(三坂陽平)