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編集余談

どうやら東京オリンピック大会は、過半の会場で「観客を入れない」を条件に開催されることになったらしい。あらかじめ断っておくと、コロナ禍があろうとなかろうと、私は(今の所は)そもそもスポーツ観戦に興味がない。自らが運動をするのはやぶさかではないが、赤の他人が全速力で走ったり全力で槍を投げたりしているのを見ても、ほぼ何も思わない。ふうん、の一言で終わる。多くの人が石の発掘や昆虫採集に関心を示さないのと同じように。

そんな私なので、ここでは21年前のオリンピック大会にまつわる「ちょっとした事件」の話を展開する。

時は西暦2000年。この年の9月、オーストラリアでシドニー・オリンピック大会が開催された。ご記憶の方も多いだろう。同オリンピック大会の開会式が催されたのは2000年9月15日で、閉会式は同年10月1日。オーストラリアは南半球にあるから、季節は春といったところ。話の舞台は、オリンピックに沸くシドニーである。

9月19日。開会式からそんなに日は経っていない。高橋尚子がオリンピック新記録を叩き出した女子マラソンも、先日引退を表明した松坂大輔が先発を務めた野球の日本対韓国戦(3位決定戦)も、まだ行われていない。そんな火曜日、シドニーの一角に佇む高級宝石店でちょっとした詐欺事件が起こった。

客は、上品な身なりの中東人カップル。なんでもドバイ国王の甥(プリンス)とその妃だという。自称プリンスは少し禿げかけており、見たところ50代。妃は若干カールした黒髪がチャーミングで、20代に見えた。どちらも大層に品が良く、物腰は柔らかかつ和やかで、全体的に余裕があった。プリンスは、ダイヤを散りばめた、見るからに高級そうな時計を腕にはめていた。

プリンスは英語があまり堪能ではないらしく、店主にたどたどしい口調でこう告げた。「この店で一番高価なダイヤを見せてくれ。妻にプレゼントしてやりたいんだ」。

オリンピックが開催されるということで、シドニーには金持ちやセレブリティがわんさか詰めかけていた。港には高級クルーザーがいくつも停泊していて、なかにはメグ・ライアンとラッセル・クロウの不倫カップルもあった(メグ・ライアンが離婚したのは翌2001年)。シドニーという町がそうした状況にある以上、当地の宝石店店主にしてみれば、プリンスの言動は「よし、カモがきた」くらいのものだった。

店主は、店の選りすぐりのダイヤをいくつかプリンスに持ってきた。プリンスとその妃は、日本の庶民がユニクロで服を品定めするように、ダイヤの数々を見た。そしてしばらくして、彼らは首を振りながら「ううん、良いんだけど、どれも私達にはちょっとね」と言った。要するに「どれも買わない」と。

断る折、プリンスは店主に「ダイヤは買わないけど、キミには世話になった。これはほんのお礼だ」と言って、ピン札の100ドル札を10枚差し出した。「これは私達の国の風習なんだ。だから遠慮せずに受け取ってくれ」。

店主は丁重に、慇懃に、その1000ドルを拝受した。ダイヤが売れなかったのは残念ではあるが、まぁ高級ダイヤなんだから、そうそう簡単に売れるものでもない。仕方がない。それより、棚ボタ的に1000ドルの現金収入が臨時的に生じたんだから、むしろ万々歳じゃないか。店主はかしこまって敬礼し、その中東人カップルを見送った。ところが後刻、店のケースをよく調べると、50万ドル相当のダイヤが紛失していることが判明した。「やられた!」とは店主の叫び。

なかなかの詐欺師カップルであるが、話はここで終わらない。

翌20日の朝、同じカップルが、シドニーの別の宝石店に出現したのである。そして同様の手口で、今度は40万ドル相当のダイヤをかっぱらっていった。おそらく、盗難情報が町全体で共有されるより前に、ぱぱっと連続して仕事を済ませたということだろう。腕前もさることながら、肝っ玉がすわっている。思わずそう感心してしまう手際である。

シドニーという町は、全体的にうわついていた。オリンピック大会が開かれるので、さまざまな国からさまざまな人達がシドニーに流れ込んでくる。それをあてにした「オリンピック景気」を、あらゆる客商売の人々が期待していた。町は「地に足のついていない高揚感」の内にあり、件の詐欺師カップルはその空気を逆手に取ったわけである。実にお見事。ツール・ド・フォースと言っていいだろう。

この事件の教訓は何か。いろいろあると思うが、そのひとつは「オリンピックだからって浮かれると、足許をすくわれるぜ」であろう。この事件から、日本人は何か学んだのだろうか。いや、この事件のみならず、過去のオリンピックの「負の側面」から日本人は何かを学んだのだろうか。その答は、現在の東京オリンピック大会の体制やありようが歴然と示す。さて、どうなることやら。


(三坂陽平)