日本語 | English

■ 一時休止いたします。







Atom_feed

編集余談

前回の余談では、「テレビは終わっているのか否か」について語った。今回は新聞である。要するに、前回と今回でマスメディアについてあれこれ語ろうという腹づもりであるが、もしかしたら少し違う方向に行くかもしれない。

というのも、前回私が言及したのは、テレビのヴァラエティ部門を巡る状況であったからである。つまり報道機関としてのテレビの消長については触れずにいた。理由は簡単で、それに触れているだけの紙幅がなかったからである。思うところがないわけではない、でもそれを述べるだけのスペースもなさそう、じゃあやめとこか、となった次第である。かといって、今回そこを掘り下げるつもりは毛頭ない。

新聞とテレビ。視覚に訴えるマスメディアであるという点だけは一致しているが、その実相はだいぶ異なる。なにより新聞は、機能面を見れば、報道機関でしかない。財界、政界、スポーツ界、芸能界から田舎の路地まで、あちこちで起きたいろいろなことを、できるだけ正確に伝えること。それが新聞の主務である。これに異論をはさむ人はたぶんいない。つまり、新聞は報道媒体であること一辺倒なのである。

他方、テレビは必ずしも報道一辺倒ではない。ニュースは観ないけど、好きなタレントが出ているから、このテレビドラマは観ている。朝昼は働いて忙しいから、ワイドショーなんか観ないけど、夜にやっているスポーツ番組は寝る前に流している。そういう視聴者も多くいるはずである。つまり何だというと、テレビは仮に報道機関としてダメであっても、それ以外のジャンルの番組で視聴者を取り込み得るのである。

新聞にも娯楽面がないではない。コラムや四コマ漫画、短編小説が載っていることはある。それらが面白いかどうか、それは読者によるだろう。しかし新聞の娯楽面を主な理由にして新聞を購読している読者は、そんなにいないのではなかろうか。現代には『落第忍者乱太郎』や『サザエさん』みたいな新聞発のヒット漫画がそんなにない。私にはそう見えるからである。もちろんこれは、私が知らないだけかもしれないのだが。

である以上、新聞は「自分達が伝える情報」の精度とクオリティを死守し、読者からの信頼を損ねないようにせねばなるまい。なにしろ売りが「報道」しかないわけだから、そこが命である。ところがどうも新聞社の中にはそう思っていない所もあるようである。大阪の読売新聞社が、二〇二一年に大阪府と包括連携協定を締結したのも、もっと遡れば、朝日新聞のいわゆる慰安婦問題に関する「誤報」があったのも、そういうことであろう。新聞社が自分達の仕事の精度やクオリティを守る気がさらさらない。

映画『七人の侍』に、「戦いは攻めることより守ることが難しい」という旨のセリフがあった。多くの人が「守りに入る」を毛嫌いするのは、それが難しいからであろう。人は易きにつきがちで、マスメディアも例外ではあるまい。

とはいえ、これだけだとありがちなマスコミ批判で終わってしまう。そこで、なぜ彼らは「信用を損なわないこと」を軽視するようになったのかについて、上記とは別の私見を、いささか述べさせて頂く。

私はそこに、インターネットが大きく関係していると思っている。

ネットが普及して、紙媒体が軽んじられるようになった。そういう慨嘆はもう出尽くした感もあろうが、本稿で扱うのはそれではない。

インターネットでの言葉に「信用」は要らない。少なくとも日本人の多くは、それを前提にインターネットに接している。私はそう思っている。信用とは、あくまで個人や法人に基づいて成立し得るものである。ところが、ネット上の発言や投稿には、個人や法人の基盤である「実名」が、必ずしも必要とはされない。むしろ大多数が匿名である。外国人と違い、日本人の多くは、ネット上では実名より匿名で発言するからである。そのこと自体が良いか悪いかは、ここでは問わない。

では日本人の多くは、何を指標にしてインターネット上の発言を判断しているのか。バズっているか否か、あるいはいわゆる「いいね」の数が多いか少ないかであろう。それを参考に、その発言を評価する。だからある種の人達は、度が過ぎるバカをやったり、迷惑系と呼ばれる愚行に打って出たりして、それをわざわざネット上に公開する。それは彼らが「常識や道徳なんか知らねぇよ、何でもいいからバズれば勝ちだ」と心底信じているからであろう。

もちろん程度の差はあろうが、日本のユーザーの大方にとって、ネット上の言説の良否を判断する基準は、そういう所であろうと思う。つまりネットでは、発言者個人の信用よりも、バズったか否か、あるいは「いいね」の数がどれくらいつくかが重視されがちだということで、新聞社の人だってインターネットに接していないわけではなかろうから、このネット特有のスタンダードが身に染み付いた社員だって、それなりに多く在籍しているはずである。それなら、いくつかの新聞社が「自社の信用を損なわないこと」を、あれほどまでに軽視するのも、得心が行く。

その彼らは、何を届けることを自分達の主務と考えるだろう。信用のおける情報か? それとも捏造でもバカでもいいからバズりそうなネタか? インターネット漬けの人がこれだけ多い今では、圧倒的に後者ではあるまいか。

結論は何だろう。「ネットを楽しむのはいいけど、ネット漬けになって現実をおろそかにしたり、ネットと現実をごっちゃにしたりするのは、率直に言ってバカでしかないぞ」あたりだろうか? なんともオーソドックスな言い分だなとは自分でも思うけれど。


(三坂陽平)