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■ 12月31日から1月30日にかけて、「2000年のポップス」をフィーチャーします







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編集余談

こんにちは。唐突にアレですが、今回の話は、まずいったん1999年まで遡ります。いえ、現在2000年のポップスをやっているから、ここでも昔話をしようというのではありません。今年、2020年は第二次東京オリンピックが開催される(予定の)年です。たぶん大手メディアはオリンピックの話題をことあるごとに伝えているでしょう。

個人的なことを言えば、私がこのオリンピックを観ることはないと思います。別に政治的な理由でそうするとかではありません。今までオリンピック中継をまともに観たことがないので、今回もそうだろうな、というだけのことです。ただ、そうした個人的な「スポーツ観戦への無関心」を差し引いても、今度のオリンピックってなんなんだろうな? という疑義はうっすらとある。たぶんそういう人は、存外多いんじゃないかと思います。やたらに「東北の復興」を掲げる割には、東北の実際がほとんどスルーされていますし。

「いったん1999年まで遡る」と前言しておいて、なかなか遡りませんね。では、そろそろ遡りましょう。話の主題は「そもそもなぜ今年オリンピックを東京でやることになったのか」です。

1999年、何があったでしょうか。いろいろありましたよね。空から「恐怖の大王」が飛来するなどはついぞありませんでしたが、その代わりに(というか)日本の首都、東京に、一人の男が都知事として降臨しました。石原慎太郎です。この年の4月、都知事選が行われ、石原は立候補、他の候補者の追随を許さないほどの圧倒的多数の支持を得て、晴れて東京都知事に就任しました。それが1999年。世に言う「石原都政」はここから始まり、2012年まで続きます。

石原は「実行力」を掲げ、都政に臨みました。金融面でも政治面でも、日本の首都である東京がリーダーであるべきで、私がそのリーダーシップを執ろうではないか。石原はそうしたワンマン強権的パフォーマンスを採り、これを多くの都民が強く支持しました。

彼の施策の一つが「築地市場(中央区)が老朽化しているので、市場を江東区の豊洲に移転する」でした。豊洲への移転が決まったのは2001年。つまり東京都の21世紀は、世に言う「豊洲問題」で幕を開けたのです。

移転先である豊洲の土地は東京ガスの所有地で、とにかく土壌汚染がひどいと問題になりました。実際、2007年に東京都が豊洲を調査したところ、調査した56か所のうち14か所で、有害物質「ベンゼン」が基準値の1000倍ほど確認されたと言います。

石原は「豊洲移転は前知事(青島幸男)からの引き継ぎ事項」と釈明しましたが、青島の時代、東京ガスは「あの土地は土壌汚染がひどすぎて売れません」と言っていました。その「ひどすぎる土地」を買い取ったのは、他ならぬ石原です。石原は2012年に「尖閣諸島を都が買い上げて都有地にする」と公言し、尖閣問題をこじらせたこともありますから、察するに「税金でムダな土地を買う」のが好きだったんでしょうね。

前知事、青島幸男は2006年に他界。翌2007年4月、石原都政は3期目に突入するのですが、この3期目にて、豊洲問題がにっちもさっちも行かなくなっていた石原は、突然「夢が必要」と言い出し、東京にオリンピックを招致しようとします。当初は招致に失敗したものの、招致活動は後任の猪瀬知事が引き継ぎ、2013年、招致を成功させます。かくして「2020年に東京でオリンピックをやる」が決まったのでした。

こうしてクロノジカルに見ると、どうも第二次東京オリンピックは「豊洲問題を紛らわすための気晴らし」でしかないように思います。だから「夢」なんでしょう。それは東京都のローカルな事情です。私みたいな大阪府民を含めて、東京以外の道府県の住民は、はっきり言って関係がない。それに、この履歴を見る限り、たぶんですけど、東京都議や大半の都民の中で、東京オリンピックと「東北の復興」は結びついてないんじゃないですかね。

石原は都政から退き、やがて身体を悪くしたのか、リハビリに余念がない、と伝えられます。たまにマスコミの記者が訪ねて、豊洲移転のことを訊ねても、「覚えてない」の一点張りなのだとか。

こうして振り返ってつくづく思うのは、政治の世界で「実行力」を掲げる人は迷惑にしかならない、ですね。いや、ほんとに。東京都民がそう思っているかどうかは判じかねますし、大阪府とて、よそのことを言える立場ではない気もしますが。


(三坂陽平)