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編集余談

米不足も一段落したと見え、私が暮らす町のスーパーやドラッグ・ストアの棚にも米が鎮座する光景が、ぽつぽつとではあるけど戻ってきた。私自身のことを言えば、独り身なのでそんなに量を食べないから、米が毎日大量に要るなどはない。それでも、米が安定的に手に入らない状況はそれなりに難渋したし、不安にもなった。家庭を持っている人達であれば、その度合いは(おそらく)私の比ではなかっただろう。

という所で、今回は「日本の農業と国民生活について」である。

ご承知のように、現在は「円安」の局面にあり、かつてのような円高に振れる見込みはこれといってない。ということは、さしあたり「輸入に頼る」という手段は、日本には事実上ない。これを前提として話を進めていく。

輸入に頼れない以上、日本は自給自足でやっていくしかない。でも国内農業の担い手は減少の一途で、農政も芳しくない。国は「AIを駆使した大規模かつ高効率な次世代の農業を」みたいなスローガンを打ち出したが、そんなものは(円安によって)高騰し続ける燃料費や光熱費の前では、空虚な絵空事でしかない。農業とは、企業が「産業」的スタンスで関与しても(多くの場合)ペイするものではないのである。したがって先の見通しは至極暗い。

というのが大方の現状認識だろう。そして大筋ではその通りだと思う。

それなら何を付言しようというのか? 個人的に危惧しているのは、「だからといって就農人口がいくばくか増加したとしても、国民が食で困ることはあり得るんじゃないか?」ということである。

荒川弘が描いた漫画『百姓貴族』の中に、農家出身である作者のアヴァターがこんなセリフを笑いながら言うシーンがあった。モノのない所にモノが流れるわけではありません。カネがある所にモノが流れるのです。農業はビジネスです。詳細は忘れたが、確かこんな感じの内容だったと思う。

繰り返しになるが、日本は現在円安という局面を迎えている。これが続けば、農家は自作した農産品を、国内より国外に売るのが当たり前になるのではないか? 私が心配するのはそれである。

カネと手間をかけてせっかく農産物を作っても、国内市場ではもう利益を見込めない。それより海外市場の顧客に売った方が儲けになる。農家だって食っていかなくてはいけないのだから、そう考えて海外展開に出る人がいても、別におかしくはなかろう。

事実、タマゴなどではもうそれが起きている。仄聞するに、高級タマゴなどはもう国内ではろくに買い手が付かないからと、シンガポールなどの海外諸国のスーパーに売りに出されるのが当然になっているという。

もちろんこれとて、高度に発展した冷凍保存技術や輸送技術に依存して成立しているわけで、つまり輸送費をどこまで抑えられるかが肝になるから、今後もこの傾向が恒常的に続くかどうかは不透明である。あるけれども、日本国内の消費者が、国内農家から客として「不適格」だとして見捨てられる。そういう状況が既に到来していることだけは確かである。

医療や教育は人間が生きていく上で不可欠なもので、そういうものは公共財であるから、市場経済の原理を適用させるべきではない。当今、そういう知見は珍しくもないし、私もどこかの記事でそういう旨を書いたことがある。

同じように、食糧も人間が生きていくのに不可欠である。当たり前の話だが、すべての人間は食べ物や飲み物がないと生きていけない。それならば、食糧も本来は市場経済の原理にあてはめてはいけないのではないか? 経済の素人の強みで、私はそういうふうに考える。

たとえば、食糧自給率が百パーセントを超えている国(カナダやオーストラリア、アメリカなど)で、自国の経済の足腰がしっかりしていれば、食糧をビジネスの俎板に載せてもやっていけるだろう。そういう国はそれでいい。しかし日本は違う。現状、日本の食糧自給率は四〇パーセント未満であり、市民経済は慢性的に不況である。ということは、鎖国などないグローバル経済システム下で日本が市場経済の原理を食糧にも適用すると、遅かれ早かれ、国民規模の食糧不足が起きるわけである。国内でどれだけ農産物を作っても、その多くが日本より富裕である諸外国に流れるという事態が現出する。荒川の言うように「カネがある所にモノが流れる」のである。だから私は「就農人口がいくばくか増加したとしても、国民が食で困ることはあり得るんじゃないか?」と訝る次第である。

より大きく言えば、日本は「資本主義を生かすか、国民を生かすか」の岐路にあると言えるかもしれない。そして政治家や官僚は「新しい資本主義」などと公言していたから、大方は資本主義の延命を図る意向なのだろう。つまり国民の大多数は見殺しにするつもりであろうということだが(九月下旬に発生した能登半島の豪雨災害などには目もくれず、彼らが総裁選や代表選に明け暮れたのはその証左だと思う)、彼らのああいうあり方って「国賊」と表されるものではないのかね?


(三坂陽平)