「グレステン Tタイプ 牛刀 21cm」
型番:721TK
刃渡り:210 mm
重量:250 g
価格:税込26,400円
十七世紀の江戸時代からこっち、新潟界隈では刀鍛冶が盛んであった。やがて十八世紀後半から十九世紀にかけて、ヨーロッパでは産業革命が起こり、鉄の加工技術が格段に進歩する。そのノウハウやテクノロジーが海を越えて日本にも流入し、新潟も「鉄鋼の町」という側面を持つようになった。十九世紀から二十世紀初頭にかけての世界には、まだ飛行機などなく、他国との交易手段は主に船だった。日本海に面した新潟は、他国との貿易を前提とした産業都市として成立し、今でも金属加工や包丁鍛造に長けた会社を多く擁する。
その二十世紀初頭の世界では、ステンレスが相次いで実用化された。ステンレスは鉄にクロムをいくらか含ませた特殊鋼で、その錆びにくさと耐熱性から、次世代の合金鋼として注目され、多くの国で求められた。こうした金属加工、鉄鋼産業の発展には、戦争というファクターが大きく関係している。二十世紀前半には二つの世界大戦が起き、兵器開発のために重工業が(世界的に)重要視されたのである。ステンレスの開発と普及も、そういった背景とは無縁ではない。
駆け足気味に説明してきたが、要するに「ステンレスは二十世紀に人口に膾炙した特殊鋼であり、新潟では多くの人がその製造、加工を生業としてきた」ということである。ホンマ科学社のグレステンは、この流れで登場する。
ホンマ科学社は、社名が示すように、科学を信じ、科学技術を以て社会に貢献することを志し、一九七一年に創業された。グレステンは、彼らが誇る科学技術により、さまざまな特殊加工を施して造られたグレートなステンレス「グレステン鋼」を用いた包丁である。
「グレステン Mタイプ 牛刀 19cm」
(ハンドル:ステンレス)
型番:819TMM
刃渡り:190 mm
重量:174 g
価格:税込20,900円
七〇年代、世界では多くの人が科学を素朴に信仰していた。
先述のように、十八世紀後半に産業革命が起こる。それを支えたのは、労働者や貨幣などの「資本」と、石油や石炭や水などの「資源」、そして「科学」であった。この三要素が揃って初めて産業が成り立ち、私たちは豊かな(文明的な)暮らしを送れるようになる。だから十九世紀から二十世紀後半にかけての世界では、多くの人が「科学万能」を信仰した。一九七〇年に大阪で開かれた万国博覧会の盛況は、当時多くの日本人が「科学の発展による明るい未来」を信奉していた証左であろう。その翌年、ホンマ科学社は設立される。
しかしそれが信仰であり思想である以上、遠からず限界に当たることは避けられなかった。二十世紀半ば、科学とそれに伴う産業の発展は、大気や海洋、土壌を損なう「公害問題」を伴うことを明白にする。加えて、科学の発展は「水や石油、石炭など天然資源が無尽蔵にあること」を前提としてきたが、その前提も二十世紀末には崩れてしまう。水も石油も石炭も枯渇するのである。だから二十一世紀は「資源の時代」と呼ばれ、各国は資源の争奪戦を繰り広げる。フランスの公共放送は二〇二三年三月、近年ロシアが、原油やレアアース、天然ガス、魚などの豊富な資源が眠っている北極の開発に力を入れていることを報じた(北極の氷が解けるとロシアの北極開発が加速し、欧米諸国はロシアや中国に軍事、経済の両面で大きく差をつけられかねず、それで彼らは「温暖化防止」や「持続可能な開発目標」などを唱えるのかもしれない)。
どうあれ、世界規模で「開発」に歯止めをかけない限り、地球の資源はいずれ底を尽きる。それは天然資源に依存して発展してきた科学が終わることをも意味する。二十一世紀とは、なんとかの一つ覚えで「科学万能」や「開発や発展こそ正義」を信奉してきた前世紀に対し、「冷静に足元を見てみろ」と告げる時代なのである。科学を信じる人には、あるいは不躾な物言いかもしれない。しかし時代とは、おおむね前の時代に対してなんらかのアンチテーゼを擁するものではなかろうか?
グレステン包丁はよく切れる優れた包丁かもしれない。でも使われているのが特殊鋼なので、一般人には手入れが難しいという問題もある。そうした困難を抱えてまで必要とされるべき包丁なのか? ホンマ科学社が設立の前提とした思想は(失礼ながら)今やアナクロになっているなどはないのか? こうした疑問があたりまえに浮かぶ時代が、二十一世紀なのだと思う。