『A』は、1998年に公開されたドキュメンタリー映画である。この時代でAと言うと、タイミング的には神戸の「少年A」の事件を連想する人も少なくないかもしれないが、あの事件は関係ない。当時オウム真理教で広報副部長を務めていた荒木浩(1968-)に密着したドキュメンタリーである。
つまり「A」とは荒木氏のイニシャルでもあり、オウム(Aum)の頭文字でもあるのであろう。そういえばオウムは2000年に「アレフ」に改称した。その頭文字も「A」である。
ここで「オウム真理教って、何?」と思った人はたぶん若い。若い人の中には「地下鉄でサリンを撒いたあの宗教でしょ? 教科書にあったよ」という人もいるかもしれない。以下、オウムについてさくっと説明しておく。
オウム真理教は、過日死刑が執行された麻原彰晃(本名、松本智津夫)が創設した宗教団体である。1982年、松本は「自念信行会」の代表、西山祥雲に弟子入りし、そこで彰晃の名をもらった。また、西山は「金がなくてもなれるのは、宗教家だよ。悩みがあったり、どうにもならない気の弱い人間ばっかりが宗教には集まってくるんだから、そいつらを魚釣りのように釣ればいいじゃないか」と松本に助言したとされる(※)。これが、松本が宗教家として世に出ることになった原点であろう。
もともと素行に問題があった松本は、半年ほどで西山から破門を言い渡され、1984年、渋谷区に「オウムの会」を発足する。当初は信徒数6人ほどの小さなヨガ道場であり、松本はその主宰者に過ぎなかった。それが松本の話術とパフォーマンス、広報活動を足掛かりに、1987年初めには信徒数600人を数える組織に膨れ上がった。同年、名称を「オウム真理教」に改変。本格的に新興宗教組織へと舵を切った。1989年8月、宗教法人として正式に登記される。
この頃からオウムは、自分たちを批判する手合いや信者の一部を殺害したり、天皇家の暗殺を企てたり、テロのための兵器を独自に開発したりと、明らかに非合法な道へと歩を進めた。信者から集めた財産を元手に、彼らはテロ組織としての活動に邁進した。ロシアから旧ソ連製の軍用ヘリを購入し、戦車も購入しようとしていた。また、地方に土地を購入し、サティアンと呼ばれる施設を作り、そこで様々な化学兵器(サリンやVXガスなど)を開発した。実行には至らなかったものの、彼らは核兵器の開発まで視野に入れていたという。
ここで多くの人は、特に若い人はこう思うかもしれない。そんな危険な組織になんでみんなノコノコ入信しちゃうかなぁ。
これは実は多くの人がごく普通に抱える疑問なのではないかと思う。なぜあんな危険な組織に? 確かに、オウムが事件を起こす前ならわからなくはない。松本が提唱した教義や、彼のパフォーマンスには、抗いがたい魅力がそれなりにあったのだろう。しかし実際、教団は事件を起こした。それらは続々と発覚し、世間に周知され、教祖や幹部は次々に逮捕された。彼らは法の裁きを受けるに至り、マスコミはそれを大々的に報じた。それでもなお、入信し、
帰依する人たちがいる。いったいなぜ? もちろん明確な答えはない。ただ、ともすれば『A』には、その疑問の解明に少し近づく手がかり(のようなもの)が含まれているかもしれないと思う。
『A』は、地下鉄サリン事件以降、オウム真理教に帰依する人たちがどういう局面を迎えていたか、周りの地域住民や公安などがオウムにどう取り組んだのかを収めたドキュメンタリーである。これを観てあなたがどう思うか、それは知らない。どんな感想を持とうと自由である。
今作は国内よりは主に海外で人気を博し、香港、釜山、ベイルート、ドイツ、バンクーバーなどの映画祭で上映された。監督の森達也氏は、ベルリン映画祭に招待され、現地の観客動員だけで国内の動員数を抜いたと語る。また、よく「なんで森さんだけがオウムの内部を撮影できたのか?」と訊かれるらしく、それにはこう答えるという。「オウムの内部に取材依頼をかけたのが自分だけだったから」。
※竹岡俊樹『「オウム真理教事件」完全解読』勉誠出版、1999、p158