1996年、アメリカでアトランタ五輪が開催されました。恐らくはそれに合わせてのことでしょう、この年の11月に公開されたアニメーション映画『ブラック・ジャック劇場版』は、そのイントロダクションがオリンピック大会でした。本作は、原作者、手塚治虫とも浅からぬ縁があり、日本のアニメーションにその草創期から携わってきた出崎統(1943-2011)が監督を務めました。
出崎は手塚に憧れ、一時は漫画家を志したものの挫折。東芝に就職し、工場勤務を続けていたある日、手塚が経営するアニメーション・スタジオ「虫プロ」の求人広告を目にします。憧れの手塚の下で働ける千載一遇のチャンス。彼は応募し、何百といる応募者の中から採用は3人程度という難関を見事に突破、合格を勝ち取りました。そして、アニメーターの道を歩み出したのです。
出崎の演出の特徴は何かとなると、やはりスチール・モーションになるのではないでしょうか。通常、アニメは動いてナンボです。しかし出崎は、その裏をかくと言いますか、たびたび静止画をはさみ、静と動のコントラストで物語世界を鮮やかに強調するのです。しかもそれがまたいちいち格好良いんですよ、ほんとに。
まぁでもそういうのは「百聞は一見に如かず」で、実際に観て頂くしかありません。
物語は(もちろん架空の)オリンピック大会から始まります。そこではそれまでの常識では考えられなかった身体能力を発揮し、新記録を叩き出す選手が続出した。会場は興奮の坩堝。あるスポーツ解説者は彼らを「超人類」と名付けました。来たる21世紀、その未来を担うべき「新しい人類」だと。
それから2年が経ち、それでも「超人類」ブームは続いていました。スポーツのみならず芸術、科学など様々な分野で「超人類」が続出していたからです。ある日、主人公の無免許医ブラック・ジャックは、誰とも知れない女から依頼を受けます。「超人類」を救ってほしい、と。
実は「超人類」と呼ばれた人達は、驚異的な能力を発揮した後、様々な症状を訴えていたのです。ある者は原因不明の拒食症に陥り、ある者は吐血を日常的に繰り返し━━多くは絶命に至りました。ブラック・ジャックは彼らの治療に携わるうち、何が彼らを「超人類」にしていたのかに突き当たります。彼らは努力を積み重ねたのではなく、ある日突然、「超人類」になった。あまりにも不自然な現象です。やがて、そこにはアメリカの大手製薬会社が極秘裏に開発した「新薬」と、それに含まれる「ウイルス」が関与していた疑いが出てくるのですが━━。
このあらすじで私が思い出したのは、あの「薬害エイズ問題」です。
血友病という病気の治療薬として、アメリカから日本に輸入されていた血液製剤。その中にエイズ・ウイルスが混入していたことが1980年代の初め頃、明らかになりました。この血液製剤の材料となる血液を加熱処理していれば、ウイルスには感染しない。非加熱の血液を使えば、感染する危険がある。こういうことでした。
しかし日本の製薬会社と厚生省(当時)は、この事実を把握していながら、非加熱血液製剤を患者に投与し続けていたのです。その結果、日本の血友病患者の2000人弱がエイズに感染し、このうち400~600人が亡くなったと推定されています。患者側が国(厚生省)と製薬会社に対する訴訟を起こしたのは1989年、手塚治虫が亡くなった年でした。争点は「国や製薬会社は、非加熱血液製剤にエイズ感染の危険性があることを知っていたか否か」です。厚生省は「関連する資料が見つからない」として、長らくシラを切り続けていました。
ところが1996年、事態は急展開を見せます。1月に新しく厚生大臣に就任した菅直人の下で資料が次々と「出てきた」のです。これはそれまで厚生省が資料を隠蔽し続けていて、恐らくは菅が「資料を出しなさい」と指示したであろうことを意味します。3月、国と製薬会社は加害責任を認め、裁判は和解へと至ります。8月には「血友病治療の権威」とされた安部英が逮捕、9月には製薬会社ミドリ十字(現田辺三菱製薬)の歴代社長3人も逮捕されました。
物語中盤、ブラック・ジャックは、新薬を「夢の新薬どころか、死の薬だ」と切り捨てた上で、新薬を人々に投与し続けた「主犯」に対し、声を荒げ、こう詰問します。
「
何も知らず感染して死んでいった者達への責任はどうだ━━
どう許しを乞うつもりだ」
断っておきますが、これはあくまでも私の個人的な解釈です。別に制作サイドに訊いたわけではありません。だいたい「これって薬害エイズ問題ですよね」なんて、訊くだけ野暮もはなはだしい。観客がそれぞれの受け止め方をすればいいんだと思います。私はこう思った。それだけの話です。
公開当時、私は中学一年生。近所に映画館とかシネコンとかがなかったので、母親に確か梅田(大阪の中心街)まで連れてってもらって観賞しました。凄く引き込まれました。映画の最初から最後まで、全身を目と耳にして物語世界に没入していました。それこそ息をするのも忘れてたんじゃないかってくらい。映画館から出たときの空がまぶしかったなぁ。