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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』
明るい未来をありがとう

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表題にある「ドラミちゃん」は、ドラえもんの妹である。漫画家の藤子・F・不二雄(本名、藤本弘)が生み出した、全身まっさおなタヌキ━━じゃなくてネコ型ロボット、ドラえもん。ドラミちゃんはドラえもんのサポート役として二十二世紀の工場で造られたロボットである。もちろんこの兄妹に血の繋がりはない。兄妹という関係性さえ共有されていれば、血縁的な繋がりがなくても特に問題はないのであろう。

ミニドラは、文字通り「ミニサイズのドラえもん」である。ドラえもんが身長一二九・三センチであるのに対し、ミニドラは推定二十センチほど。ミニということで、精神年齢はかなり幼く設定されているのか、人語を喋らない。台詞は「ドーララー、ドララ、ドララ」という感じである。ボディ・カラーは、ドラえもんの青、ドラミちゃんの黄色に続き、茶色っぽい赤。「信号機かよ!」と半畳を入れたくなるところだが、カラーリングの由来は不明である。

六十年以上続いた昭和が終わり、平成に改元されて間もない一九八九年三月、ドラえもんの映画『のび太の日本誕生』が全国的に封切られた。本作はその同時上映作品にあたる。今はどうなのかよく知らないが、二十世紀末にはアニメ映画が二~三作品、連なって上映されるのはフツーのことだった。ドラえもんしかり、ドラゴンボールしかり、トトロしかり。要するに当時のアニメ映画は「カップリングがあるのが当たり前」だったのである。

『のび太の日本誕生』は、およそ四二〇万人の観客を動員し、二十億円以上の配給収入を記録した。大ヒットである。その要因はいろいろあろう。もちろん『日本誕生』自体が面白かったことも大きいはずだが、同時上映された本作のお蔭というのも、それなりにあったのではないかと思う。

本作の舞台は、八九年から見ればちょっとした未来にあたる二〇一〇年代序盤の日本である。八九年の野比のび太の他愛のないミス(というか)のせいで、大人の彼が主宰する近未来の野比家に、ドラ焼きを模した球体カプセルが二十二世紀の未来デパートから誤送されてくる。

かつてドラえもんを配給されたのび太は、成人して働いているらしく、日中は家にいない。家には彼の細君である静香と、息子ののびスケがいるだけ。ややあって、のびスケの部屋にあるのび太が使っていた古い勉強机から、二頭身の可愛らしいロボットが飛び出してくる。名前はドラミちゃん。のびスケは驚くが、静香は旧知の仲であるドラミちゃんとの思わぬ再会を喜ぶ。

女性陣二人は野比家のリビングで談笑する。ドラミちゃんは静香に会いにきたわけではなく、未来デパートから誤配された「ミニドラ」を捜しにきたのだという。でものびスケも静香も、そんなものに心当たりがない。父親からもらったビー玉を退屈そうに弄るのびスケ。じつはミニドラが封入されていたカプセルは、ちょっとした事情があり、ドラミちゃんの到来より前に野比家の外へ持ち出されていたのである。ミニドラはどうなるのか? 近未来を舞台にした物語が始まる。

当時、原作者の藤本は存命だった。映画版ドラえもんの脚本は彼が書き、監督は藤本の篤い信認を得ていた芝山努が務めるのが常であったが、さすがに同時上映の作品までは二人とも手が回らない。本作の脚本は、前作『のび太のパラレル西遊記』で、病に倒れた藤本のピンチヒッターで脚本を書いたもとひら了が、監督は近年では『魔入りました!入間くん』の監督、脚本で知られる森脇真琴が、それぞれ務めた。

本作は言ってみればSFであるから、世界観が重要である。本作で描かれる近未来は、全体的に明るい。のびスケのビー玉はその象徴であろう。きらきらしている。それでいて目に優しい。これはセル画ならではの効果であろう。セル画から、コンピューターを用いたデジタル彩色への移行が進んだのは九〇年代後半以降。現今ではセル画式アニメーションは絶無であるが、八九年当時はセル画式しかなかった。本作の世界観には、そのアドヴァンテージが活かされているように思う。

そういえば、とつれづれに思い出す。当時の現実世界は、今から思えば総じて暗めだった。目にどぎついあのLEDはまだ世の中になくて、照明はそんなに煌々としていなかった。未舗装の道路もぼちぼちあったし、ボットン便所を擁する建物もそれなりに残っていた。私が暮らす大阪北部では、町のあちこちに「暗闇」が見受けられ、子供ながらに夜が怖かった。あれで良かったのになと今では思う。

このことと関係があるのかどうかは分からないが、監督の森脇は後年、本作では明るい未来を描きたかったと述べている。当時は世紀末だからか、子供向けのアニメでも『北斗の拳』のようにダークな未来が描かれることが多かった。原作者の藤本自身、この時分には環境問題への傾倒を隠さず、明るいとは言いがたい未来を暗示する傾向があった。しかし森脇は「こういう未来になったらいいな」という世界を全力で表現した。

私事だが、八九年は私が五歳になる年である。当時、劇場まで母と観に行ったのか、少し後にビデオやテレビ放送で観たのかは漠として覚えていない。でも私はこの作品が大好きだった。今でもそれは変わらない。母や妹もこの映画を愛していたと記憶している。だから本作を本作として成り立たせ、世に出してくれたすべての人に、深く感謝している。

ありがとう。

作品情報

・監督:森脇真琴
・脚本:もとひら了
・原作:藤子・F・不二雄
・配給:東宝
・公開:1989年3月11日
・上映時間:40分





 

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