つらつらと思い返してみると、二十一世紀に入ってから、映画に限らずドラマやポップスなんかも含めた、いわゆるエンターテインメント業界が、全体的に様変わりしましたよね。どういう具合に変わったかというと、前世紀の作品のリメイクやカヴァーが顕著に増えた。私はそう思っています。
もちろん、二十世紀の間もカヴァーやリメイクは当たり前にありました。でも二十一世紀のそれに比べると、まだそんなに目立たず控えめだったというか、小規模なものだったと思います。なんでこんなことになったんでしょう? そこを突っつきだすと、際限がなくなって大変そうですからやめておきますが、とりあえずここで言うのは、二十一世紀に入ってからの映画業界は、「なんでこんなリメイクばっかやってんの?」って様相になったということです。邦画であれ、洋画であれ。
前世紀末の九〇年代半ば、テレビ東京系のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が、社会現象と言われるほどに人口に膾炙しました。とはいえ、個人的な体感から言えば、テレビ放映が始まった九五年頃は、まだそこまで熱狂的なブームは起きていなかったと思います。当時、私は小学六年生でしたけど、エヴァのエの字も聞いたことがなかったですから。ほんとに。
ところが、その劇場版が公開された九七年になると、がぜん火が着きました。ほんとに、文字通り火が着いたかのように、テレビから雑誌からみんなが過熱的に「エヴァ」について語り出したのです。その熱気に感化されて、それまで関心を持たなかった人達も「どうやらそういうアニメが流行っているらしい」と認知するようになっていきました。当然の方策として、テレビ東京系列の局は、同アニメの再放送をじゃんじゃん流します。エヴァの認知度はさらに(雪だるま式に)上がっていきました。まだ映像系サブスクリプション・サービスはおろか、インターネットすら普及していない時代ですから、テレビの影響力というのは今よりはるかに凄かったんです。
個人的な話をしますと、私が初めてエヴァに触れたのは、九七年度の再放送のタイミングでした。深夜放送だったんですけど、黒夢のコンサート・ヴィデオを宣伝するコマーシャルが流れていたことを、今でもわりと鮮明に覚えています。で、ご承知の方には先刻ご了解のように、この作品の主人公は、碇シンジという中学二年生の男の子なんですね。彼を軸に、同い年の綾波レイやら鈴原トウジ、惣流・アスカ・ラングレーなんかがレギュラー・キャラクターとして現れて、それぞれに物語を進めます。いかなる偶然か、私は中学二年生の時、この作品にばったり遭遇してしまったのです。どうしようもないタイミングで巡り合ってしまったんだな、と後になってから思いました。別に後悔しているとかではないんですが。
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エヴァの実質的な生みの親である庵野秀明総監督は、前世紀末にエヴァの幕を引いたあと、アニメーションの世界から実写映画の世界へと軸足を移します。彼はもともと、エヴァの制作会社であるガイナックス社に所属していたのですが、ここの経営体制に少なからず不信を抱いていたらしく、同社から独立して新たな制作会社「カラー」を設立します。ただそうは言っても、実写映画では彼はヒットらしいヒットを出せてはいませんでした。それでは、彼に追従するスタッフを満足に食わせられるはずもない。なればこそ、自身最大のヒット作であるエヴァを━━前世紀末に一度は幕を引いたにもかかわらず━━リメイクするに至ったのだろう、と私は推察します。
だから本作は、少なくとも前世紀版を観た人にとっては、なんてことはないと言えるかもしれません。だって前世紀版(テレビ版)の最初のほうの何話かをリメイクしただけですから。もちろん細部は微妙に異なっているし、全体的に映像の精度も上がっている。観終わったあとにある種のカタルシスというか、満足感をしっかり残してくれる仕上がりだとは思います。でもリメイクであることに変わりはない。
この作品は、そこそこヒットしました。〇七年当時、私はこの作品を映画館で観てはいません。観に行こうと思ったのですが、流しているシアターが近くになかったのです。カラー社はインディーズの会社で、東宝や東映などメジャーな配給会社とは無縁でしたから、流す映画館が限られてしまっていたんです。それでも本作は、興行収入で二十億円に届くくらいヒットしました。インド人もびっくりですね。
庵野監督と袂を分かつ形になったガイナックス社は、その後、役員の脱税やら未成年の女性への猥褻行為やらの諸問題を次々に露呈します。庵野監督が独立したのも無理はないというか、同社の経営陣に深刻な問題が根深くあったことはどうやら確かなようです。今年=二〇二四年の初夏、ガイナックス社は東京地裁に破産を申告し、正式に受理されました。