『人造人間ハカイダー』
ルール無用のダーク・ヒーロー、ここによみがえる
「東映特撮ヒーローの父」と言われる石ノ森章太郎の、生前最後の特撮映画であり、『人造人間キカイダー』に出て来る敵キャラを主役に据えた「ザ・ダーク・ヒーロー」の映画といえば・・・そう、『人造人間ハカイダー』である。
黒い鎧をまとった破壊の使者であり、圧倒的なパワーを持つ彼は絶海の孤島で長く眠りについていたものの、トレジャー・ハンターにより覚醒させられた。元々はグルジェフが作り出した「モノ」だったが、制御が不可能と判断されて廃棄されていた彼は、自分の創造主であるグルジェフが統率する街、ジーザス・タウンに向かう。そこは恐怖政治による「偽りの平和」が蔓延する街であり、ハカイダーはその醜さに耐えきれず、破壊活動に乗り出した。
正義の味方ではなく悪を描いた作品であるが、そもそも善悪とは何か、という問いを訴える風刺でもある。たとえば我々にとって善とは、宗教が称える「神」という概念であったり、指導者の唱える理念だったりする。それが往々にして人を盲目にさせるのであり、争いの永遠の火種になったりする。
では悪とは? 一般的に言えば、「善」のフォーマットから逸脱した概念や存在になるだろう。だが視点を変えれば、正義は悪になり、悪もまた正義になる。かの有名なアドルフ・ヒトラーは、人道上では確かに悪だが、政治的に見れば、当時ドロ沼状態にあったドイツの政治をわずか4年で立て直した偉人である。
ジーザス・タウンではグルジェフに従うことこそ正義であり、彼がハカイダーの後継機として作り上げた人造人間ミカエルは、「正義の使者」としてハカイダーに立ち向かう。
原典である『人造人間キカイダー』においては、「俺はおまえたちのように命令通りに動く低能ロボットではない」と云っていたハカイダーだが、その精神が今作のカギともいえる。ハカイダーは、規範などに束縛され自らの意志を殺すことをなによりも嫌う。善も悪もなく、「快か不快か」なのだ。
洗練されたデザイン、CG過多に陥っていないアクション、それらもさることながら、この精神こそ現代の先進国にとって非常に肝腎なのではないか?
作品情報
・監督: 雨宮慶太
・脚本: 井上敏樹
・原作: 石ノ森章太郎
・コンピュータ・グラフィックス: 篠原保
・配給: 東映
・公開: 1995年4月15日
・上映時間: 52分
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