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『HERO』
「6年間のブランク」にまつわる仮説

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2007年に映画『ヒーロー』が公開されました。2001年春にフジテレビ系列でテレビドラマとして放映されていた「ヒーロー」の劇場版です。テレビドラマの時点で高視聴率をマークしていたのですが(関東では最低でも30%超えという盛況でした)、映画も凄かった。マスコミの煽りもあって興行収入80億円を突破するほどの大ヒットとなりましたから。

内容はというと、要するに法廷ドラマです。木村拓哉演じる通販好きの検事を筆頭に、検察はそれぞれに事情を抱えながらも「正義の味方」をまっとうします。代議士や弁護士が悪役を演じます。テレビドラマ時代から引っ張っていた伏線を回収しながら、彼らはときにクールに、ときに熱血的にすったもんだを繰り広げ、大団円に向かいます。

だから単純に言うと勧善懲悪ものなんですよね。遠山の金さん。まぁ、内容はさて置くとして、ひとつ問いを立ててみたいと思います。映画が公開されるとなった時点で、こう疑問に思った人も多かったのではないでしょうか。6年も前のテレビドラマを、なぜ今になって映画化せにゃならんのか、と。

映画を作るのにお金がかかることはご承知の通りです。当たれば大儲け、外れれば破産。それくらいリスキーなものなんですね、フィルムメイキングって。投資家たちを説得してお金を出してもらう、それをベースにスタッフや俳優を説得して働いてもらう。こういったプロセスを経ないと、映画は出来ません。だからどうしても時間がかかる。

でも『ヒーロー』に関してはそうも言えない、と思います。だって、大ヒットしたドラマという下地がちゃんとあるんですから。投資する会社なんていくらも見つかるでしょうし、配給会社(東宝)も渋る理由がない。むしろ時間が経つにつれ、ヒットする蓋然性はしぼんでいきかねない。実際、同じフジテレビの「踊る大捜査線」は、ドラマが放映された翌年に映画化され、大ヒットしたわけですし。

2001年から2007年の間に何かがあった。その何かが、とうの昔に終結したドラマ「ヒーロー」を映画化させた。こう考えていいと思います。

何があったでしょうか。もちろんいろんなことがありました。世間的にも、個人的にも。ただ、その中で私は「裁判員制度」に着目してみたいと思います。ご記憶の方も多いかと思いますが、2004年、小泉政権下で裁判員法が成立し、2009年から裁判員制度が施行されるに至りました。

裁判員制度自体は、おそらくは日本の宗主国アメリカからの「押しつけ」ですが、それを国民にうまく呑み込ませるためには、ポップ・カルチャーを使ったプロパガンダが必要だ、と考えた誰かがいたのではないでしょうか。そこで、2001年に大ヒットした「ヒーロー」に白羽の矢が立った。なにせ検察が主人公のドラマです。これはうってつけ。このドラマを再利用し、法廷や裁判を国民の身近なものとして刷り込ませよう、となった。こう考えても決して荒唐無稽ではないと思います。

映画を政治的に利用するなどはそんなに珍しいことではありません。たとえば2010年代の劇場版「名探偵コナン」なんて、もうほとんどプロパガンダになっていますからね。

日本に裁判員制度を押しつけてアメリカに何のメリットがあるんだ。そう問われるかもしれません。はっきり言って、メリットはないです。だってそれ以前の問題ですから。アメリカというのは、自国に固有のものを世界に広げたがる病に冒された国なのです。だからグローバリズムなんです。あれはアメリカのローカル・スタンダードを「グローバル・スタンダード」にせんとする、価値観の侵略運動ですからね。迷惑な話ですけど。

そういった映画だからなのか、ヒットはしたものの、個人的にはまったく心に残らないんですよね。あるいはそれは私がテレビドラマの方を観ていないからかもしれませんが。

作品情報

・監督:鈴木雅之
・脚本:福田靖
・製作:亀山千広
・配給:東宝
・公開:2007年9月8日
・上映時間:130分





 

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