2005年6月に、『いらっしゃいませ、患者さま。』という松竹映画が公開された。そんなにヒットしたわけではないから、本作を観たことがある人は、多分少数派だろう。どんな内容かと言えば、タイトル通り、病院をサービス業ライクに改造するとどうなるかというコメディである。
主人公は渡部篤郎扮する近馬記念病院の院長。この病院は多額の負債を抱え、経営難に陥っている。映画は、とある男性医師が当院に愛想を尽かし、離職してしまうシーンから始まる。院長は絵に描いたようなボンクラで、ある日その病院に銃で撃たれた患者(大友康平)が1人舞い込んでくる。この患者は「風俗業界のカリスマ」らしく、数々の風俗店を再建させてきたという。まぁ当時持て囃されていた「敏腕コンサルタント」である。
で、このコンサルが命を助けてもらったお礼にと病院再建を買って出る。そのためには多くの患者に来院してもらい、できるだけ多額のカネを病院に落としてもらわねばならない。さて具体的にどうするか? コンサルは風俗営業のメソッドを病院に持ち込む。看護婦がヒザ枕をしながら点滴を打つ、バリウムを飲む折には看護婦が口移しで飲ませるなど、書いていても阿呆らしくなるような(主に男性患者向けの)サービスが次々と導入される。
で、院長がぼおっとしている間に、看護師免許を持つ元ホステスまで投入されて、近馬記念病院は過剰サービスを武器に経営再建に向けてまっしぐら━━となればいいのだが、ここでもう一捻りがある。病院が多額の負債を抱えているということは、どこかの誰かが病院にカネを貸しているということで、その金融業者が表に出てくる。地上げ屋よろしく、金融業者には借金のカタに病院を手に入れてどうこうしようという目論見がある。経営再建なんかさせてたまるかい。かくして、金融業者もコミで話は転がっていく。
と、こうして粗筋だけ述べていると、女性には「
カネと女とか、Vシネマ的というか、典型的な男の妄想よね」と一刀両断されるかも知れない。しかし僭越ながら言わせて頂ければ、私は男であるけれども、こういう病院があれば行きたいかと訊かれたら、できれば行きたくないぞ。いや、ほんとに。
まず、ヒザ枕って、やってくれる女性にもよるのだろうが、基本的にそんなに寝心地はよくない。ていうか、点滴を打たなきゃいけないほどしんどい状態なら、看護婦が傍にいること自体、多分うっとうしい。一人でゆっくり寝かせておいてほしい。看護婦による口移しでバリウムとか、マジで勘弁してほしい。下手すれば虫歯とか感染症が移りそうで、困る。要するに、風俗的サービスは「健康な男性」にはいいかも知れないが、病院に行く男性の大半はそうじゃなかっぺ? ということである。
そもそも、病院がこういう「患者さま」みたいなサービス業である必然はあるのだろうか? 私はないと思う。実際、病院内で医療従事者が「患者さま」と呼ぶことを習慣化したら、院内規則を守らない「オレ様」化したクレーマーが増加したという話もある。それで医療体制が充実するかと言えば、まずしないだろう。百害あって一利なし、である。
医療はサービスではない。公共財である。顧客がいて、ニーズがあって、供給が生まれましたとか、そういう
枠組みでは医療は語り得ない。教育や上下水道などと同じく、医療は、人々が共同体を営み、健全に暮らしていくのに必要最低限なものである。だからこそ、共同体の成員が少しずつ資産を出し合う形で存続している。それを市場原理でくくってしまうと、医療崩壊が起きて、地域住民は困る。市場原理は「儲からない仕事は無くなって当然だ」と告げるが、その原理で医療が無くなると、私達はとても困るからである。
しかし、21世紀に入ってから日本では、公共財に市場原理のスキームを適用する輩が跋扈した。自民党だったり維新の会だったり、あるいは霞ヶ関の中央官僚だったり。そして彼らと同様に「世の中の仕組みが分かっていない」マーケット至上主義者がマス・メディアでは持ち上げられた。だから「独立行政法人化」や「民営化」がこの時代(21世紀序盤)には持て囃された。つまり、マスコミが煽る形で上記の風潮は醸成されたとも言える。
でもこの映画はヒットしなかった。ヒットする要素はあったはずなのである。ややお色気方面に偏っているが、「公共財をサービス業ライクに改造する」は当時の風潮に適ってはいるのだから。でもヒットしなかった。
今観るとどうだろう。ある人は「中高年男性慰安コンテンツ」と唾棄するだろうし、ある人は「意外に傑作」と評するだろう。つまり人それぞれ。しかし、どうあれ本作はヒットしなかったのだから、制作陣の思惑がどうだったのかはさておき、市井の人々は「医療をサービス業化する」を疑問視し、はねのけた━━ということではないかと思う。
コメディなんだから、そんな難しく考えないで気楽に楽しめばいいんじゃないの。私だってそう思わないではない。しかし、ある種の「社会派」的な要素が盛り込まれてはいるわけだから、社会の一員として、そこには正面切って向かい合わなきゃな、と思った次第である。