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『紅の豚』
もう一つの「宮崎駿」?

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『紅の豚』は、1992年7月18日より東宝系で公開されたアニメーション映画です。制作はスタジオジブリ、脚本と監督は宮崎駿(1941-)。

宮崎駿とは何者かと言いますと、アニメーターです。元々は東映動画に所属していましたが、1971年に退社。のち、いくつかのアニメーション会社を渡り歩き、実績を重ねて行きました。1985年に設立されたスタジオジブリは宮崎駿や、同時代のアニメーター、高畑勲(1935-2018)のアニメを造るメイン・スタジオです。

宮崎とジブリは、1989年にアニメ映画『魔女の宅急便』を発表、観客動員数は250万人以上を記録し、同年に公開された邦画のなかで一番のヒット作となりました。そして『魔女の宅急便』以来の新作となる今作は、なんと観客動員数300万人を突破。それまで一部の層にしか知られていなかった宮崎駿とジブリの名は、この頃「国民的」なものとして一般に浸透していきます。

今作の舞台は世界恐慌の時代のイタリアです。恐慌とは「バブル崩壊」と同義で、つまり世界恐慌とは1929年にアメリカでバブルがはじけたことを言います。今作が公開される前年、日本でもバブルが崩壊したので、タイムリーと言えばタイムリーです。もっとも、イタリアはアメリカのバブル崩壊より以前に、第一次世界大戦の後遺症で、すでに経済面で満身創痍だったらしく、恐慌の影響はそんなになかったみたいです。

で、今作で描かれるイタリアでは、海賊ならぬ空賊(飛行艇を駆使して海賊行為に及ぶ集団)が治安を乱しています。悪漢がいれば、それを退治する需要も生まれるのが世の常。主人公のポルコ・ロッソは19世紀生まれの男性で、空賊を退治する「賞金稼ぎ」を生業にしています。もちろん、ポルコも飛行艇乗り、それも超一流の飛行艇乗りです。ただし、彼には一つだけ奇妙な点がありました。彼は、人語を話す「豚」だったのです━━。

今作は、何と言っても美術が素晴らしい。物語の背景であるアドリア海やその周辺の町の描写は、作中のキャラクターが言うように「本当に綺麗」です。また、飛行艇が空中を猛スピードで飛ぶ描写も、構図、タイミング共によく練られていて、迫力が凄い。ジブリの裏名物(?)でもある「美味しそうなご飯」もちゃんとあります。しかし、そういった視覚的な要素は実際に観て頂くしかありません。百聞は一見に如かずです。なので今回は、それらはいったん脇に措き、物語の「軸」のお話をしたいと思います。

宮崎が物語を描く際、頻繁に採用する「軸」があります。「共同体」です。彼の描く物語では、主人公は往々にして、(1)それまで帰属していた共同体を何らかの事情で離れ、(2)未知の共同体に帰属する。『天空の城ラピュタ』(1986)にも『となりのトトロ』(1988)にも『魔女の宅急便』にもそういう筋書きが組み込まれていました。

宮崎駿はインタビューで何度もこう公言しています。自分は日本の子供のためにアニメーション映画を作っているのだと。アニメ映画は子供がたまの娯楽にと観るもので、そこで楽しんでもらえるようなものを作りたい。そういうことなのでしょう。

「アニメーション映画は子供のためのものである」━━それなら、先述のように、宮崎が共同体を軸にしたお話を何度も物語ってきたのも合点がいきます。子供はいずれ成長し、その多くは、それまで属してきた共同体(家なり学校なり地域なり)を離れる。そして新しく暮らす場所で、既存の共同体に参入するか、自力でコミュニティを形成するかをしなくてはならない。でないと生きていけないからです。宮崎はその重要さを、説教や訓示ではなく、物語を語るという形で説いてきたのかもしれません。

では、今作『紅の豚』でもその軸が採られているでしょうか。確かに共同体は出てきますが、主人公はそこに帰属しようとはしません。ポルコは、いずれの共同体にも属さない一匹狼の賞金稼ぎです。彼は「国家」にすら帰属しようとしません。物語の序盤、彼は「もぐら」を自称する顔馴染みに対し、「豚に国も法律もねえよ」と言い放ちます。何気ないシーンですが、ここで宮崎は、それまで描いてきた物語で重要視してきたはずの「共同体」を、主人公に一蹴させてしまうのです。

思うに、ここで(おそらく)重要なことは彼が「豚」であるということです。人間ではない。彼は魔法によって、人間から豚になった。その過程や理由は、物語世界では明示されません。つまり、肝心なのは「彼が豚であること」なのです。理由やプロセスはどうでもいい。

今作は、ともすれば宮崎のオルタナティブ(もう一方)を表現しているのかもしれません。「裏・宮崎駿」と言っていいかもしれない。つまり、従来の「共同体の重要性を語る宮崎」に対して、今作では「人外の者」を主役にする形で「共同体に悪態をつく宮崎」が前面に出てきているのです。

共同体に属することは人生を営む上で大変重要かつ有用ではありますが、その見返りとして、往々にして「くだらないスポンサーを背負」わなくてはいけなくなる。それを忌避して、共同体と距離を取る生き方を選択する者もいるわけです。ポルコもその一人です。ただし、そうした輩は、物語世界では「豚」や「もぐら」と称されています━━人間ではないのです。

私たちの内面は、多少なりとも多面的です。一面的にはできていません。道徳的な面もあれば、自分勝手な面もある。成熟した面もあれば、幼児的な面もある。それは誰だってそうで、宮崎駿も例外ではないはずです。宮崎が齢50を数えた当時、「豚」というトリックスターを主役に配する形で、「もう一つの宮崎駿」を提示した。もしかすると『紅の豚』は、そういう映画なのかもしれません。

映画というのは、規模の大小はあるにせよ、多くの人が関与して造られるものです。だから、今作に宮崎駿「一個人」が、果たしてどの程度反映されているのか、私にはわかりません。あくまで「宮崎駿の作品として語るなら」という前提での与太話として、お受け取りください。

作品情報

・監督:宮崎駿
・脚本:宮崎駿
・原作:宮崎駿
・音楽:久石譲
・配給:東宝
・公開:1992年7月18日
・上映時間:93分







 

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