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『おっぱいバレー』
さぁ、語るぞ!

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と言って何を語るんだという話だが、まずは映画の概要である。

水野宗徳の同名小説を基に作られた二〇〇九年公開のこの実写映画は、やはりタイトルのインパクトが絶大である。なんたって「おっぱい」だもの。しかしながら、本作はポルノ映画ではない。主演は綾瀬はるかである。この情報だけで日本人の大半は「ポルノ映画じゃない」と了解するはずである。

舞台は一九七九年、九州の中学校。七〇~八〇年代の中学校といえば、いじめ問題やツッパリ文化が社会的に目立ち始めた、いわゆる「荒れた」時代であろうが、劇中の中学校は比較的平和に映る。その学校に赴任してきた若い国語教師、寺嶋美香子(綾瀬はるか)は男子バレーボール部の顧問になるが、そこは形だけの弱小バレー部で、思春期真っ盛りの部員達は、女のことしか頭にない(このことは序盤の寺嶋の挨拶シーンで強く印象づけられる)。

今という時代の尺度で見れば、これは先生にとって僥倖だろう。形だけの部活なのだから、指導に時間も熱量もかからず、テキトーに放置していれば済む。部員が学校内外で問題を起こさない限り保護者もクレームをつけないだろう。こんな楽な話はない。

しかし寺嶋は部活を盛り上げようと、手はじめに女子バレー部との練習試合をさせる。もちろん男子部員は敗ける。女子部員からバカにすらされてしまう。まだ男女雇用機会均等法などない男社会の、つまり「男尊女卑」が至ってあたりまえに根付いていた時代である。そこで女子から公然と蔑まれるのだから、男子部員の精神的ダメージは相当だろう。寺嶋もこのままではまずいと思い、なんとかして男子バレー部をちゃんとしたバレー部にしようとする。そこで彼女は部員達と問答を繰り返すうちに、彼らが試合に勝ったら自前のおっぱいを見せるという約束をさせられてしまうのである。

本作がポルノ映画であれば、話の筋書は「男子部員が自分達をバカにした女子部員に一矢報いるべく、彼女達をレイプする」になるだろう。あるいは、自分達のプライドをいびつな形で回復しようと、女教師とどこかでセックスするとか。しかし本作はポルノグラフィーではないので、中学生男子が若い女教師のおっぱいを見ようと奮闘する方向を取る。

ここで読者の中には「若いから仕方ないかもしれないけど、たかがおっぱいを見たいがために頑張るとか、バカじゃないの」と鼻を鳴らし一笑に付す向きもあるかもしれない━━が、そんな浮薄な話ではないかもしれない。

中学生にとって先生とは、自分達とは違う世界「大人の世界」の住人である。まして男女の差があれば、先生と生徒の間には千里の逕庭があると言っていいだろう。そして人類史に徴する限り、人間とは「他人との距離をどうにか縮めたい」という欲望を大なり小なり備えた生き物である。だから劇中で、中学生男子は先生との距離を縮めたいと望み、「試合に勝ったらおっぱい見せて」という取引を持ち出したのだと、私は考える。

中学生男子の大半にとって成人女性のおっぱいは、すぐ側にあるといえばあるのだけどなかなかアクセスできない、リアリティの希薄なものである。つまり「試合に勝ったらおっぱい見せて」は「試合に勝ったら一億円ちょうだい」というのに等しい。それも道理で、部員の本意は、新たに赴任してきた先生との距離を縮めることなのだから、そこでの取引は現実感を欠落させたもので平気なのである。もっとも寺嶋にしてみれば、自分のおっぱいは正真正銘の立派な現実なので、彼女は困惑することになるのだが。

さて━━である。先生にとって生徒との距離を縮めることは、教壇から降り、一人の人間として生徒と向き合うことでもある。つまり彼女の自分のおっぱいを見せるという覚悟は、一人の生身の人間として部員と向き合う覚悟でもありえる。だから劇中、男子バレー部の先輩ヤンキーが、自らのおっぱいを見せる決意を固めた寺嶋を「いい先公」と評したのではないか。

寺嶋が一人の人間であることを強調するのが、なぜか出てくる寺嶋の元彼(福士誠治)である。映画のあらすじだけ見れば、この元彼はそんなに必要ない。じゃあなんで彼が出てくるのかというと、寺嶋が先生であると同時に、一人の女性であることを暗示するためだろう。彼女は教職に身を置く傍ら、フツーに恋もするし、人間関係がうまく行かないこともある、生身の人間なのである。そのことを観客に教示するために、彼は出てくるのだと思う。


おっぱいを軸に、本作は「教師と生徒が距離を縮めることはできるのか」というテーマを物語る。もちろん、おっぱいはセックス・アピールである。それは間違いない。そしてセックスとは、基本的に「他人との関係を築く営み」なのだから、本作の方向性は、実は存外にまっとうなのである。

作品情報

・監督:羽住英一郎
・脚本:岡田惠和
・音楽:佐藤直紀
・配給:ワーナー・ブラザース映画、東映
・公開:2009年4月18日
・上映時間:102分





 

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