日本語 | English

■ 6月30日から7月30日にかけて、「九〇年代の実写映画」をフィーチャーします。







Atom_feed
『7月7日、晴れ』
九〇年代半ばの「七夕」

LINEで送る

こんにちは。本日のお題は、今(二〇二五年)から約三十年前の一九九六年の五月に公開された『7月7日、晴れ』です。あんまりポピュラーではないかもしれませんが、まぁ「どんなもんかな」と思って、一先ずお付き合い頂ければ幸甚です。

大まかに言えば、実写映画はフィクションとノンフィクションに大別されると思います。つまり「現実離れしたもの」か「飽くまでも現実と地続きになっているもの」かに分けられると。もちろん実際には、その中間に位置する作品も多くあるのですが、取り敢えずは。

本作『7月7日、晴れ』はフィクションに属する実写映画です。都会を舞台にした、若い男女の恋物語。簡潔に本作を表すとそうなるでしょう。監督は後に『踊る大捜査線』シリーズで演出や監督を務めた本広克行(一九六五~)。彼はこの作品で映画監督としてデビューしたのです。

どんなお話かと言いますと、萩原聖人演じる自動車会社の若手サラリーマンが、プライベートで渓流に出かけるんですけど、そこで観月ありさ演じる望月ひなたと偶発的に出合います。彼女は世界的なアーティストで、将来を嘱望された身。かたや(当時の価値観としては)平凡極まりないサラリーマン男子。この二人がもちろん惹かれ合って恋に落ちるのですが、あまりにも身を置く境遇が違い過ぎるためか、なかなかうまく行かずにひなたは別れを告げます。やがて海外に拠点を移すことになった彼女は、日本での最後の仕事として七月七日、ラジオの生放送に出るのですが、そこで━━という感じです。

モチーフは言うまでもないと思いますが、七夕伝説です。天の川によって引き離された男女━━織姫と彦星━━が七月七日に再会する。古今東西を問わず有名なお話だと思います。それを九〇年代半ばの東京を舞台にして再現したのが本作と言っていいでしょう。もしかしたら今の若い方は、七夕を「願いごとを書いた短冊を笹に飾るイベント」と認識しているかもしれませんが、ちゃんと由来があるんですよね。

本作の配給収入(当時は興行収入ではなく配給収入を主な目安にしていたのです)はおよそ六億円ということですから、まぁ「時代にその名を深く刻んだ」とまでは言えません。そこそこマイナーな映画という位置づけは避けられないでしょう。どちらかと言えば、ドリームズ・カム・トゥルーが唄った同名の主題歌の方が、今となっては有名かもしれない。ともすれば今ではドリカム自体あまり知られてないかもしれないですけど。


ヒット作ではないので、VHSにはなったものの、DVD化は一切されていません。私は衛星放送で流れていた本作を録画して、個人的にDVDに落とし込みましたけど、たぶんそうする以外にこの映画のDVDを手にするすべはないと思います。現時点では、ネットフリックスやアマゾン・プライムなどの映像配信サービスでも配信されていないようですし。

私が本作を初めて観たのは、たしか中学生の時だったと思います。映画館ではなく、テレビで。

私は九六年から九九年にかけて、北大阪のしがない公立中学校に在籍していたわけですけど、そのどこかで本作を観たんじゃなかったかなと思います。制作がフジテレビジョンですので、公開後わりと早めのタイミングで地上波(当時はまだインターネットもケーブルテレビも普及していなかったので、映像系のメディアとなると地上波テレビが主だったのですが)で放送されたのかもしれません。終盤で流れるドリカムの主題歌を聴いて、「ええ曲やなぁ」と惚れた記憶があります。

では二〇二五年現在の視点から本作を見るとどうか? これは意見が分かれるかもしれませんが、一つのお伽話としては今でもアリだと思います。

なにしろ約三十年前ですので、そこに映る「東京人」は、今の東京人とは結構かけ離れています。当時も携帯電話はあるにはありましたけど、画面は小さい白黒で、本当に「電話とメールをするだけ」のアイテムでした。だから現代にありふれている「うつむいてケータイを凝視し続ける人」が本作ではそうそう出てきません。インターネットだって普及していませんから、出てくるキャラクター達はネットという仮想空間を相手にせずに済んでいて、それぞれを取り巻く現実だけを専らにしっかり生きている。それだけでドラマはこうも自在に繰り広げられるんだなと改めて思います。

そういう東京は、今ではもう到底あり得ない世界でしょう。だから「お伽話=空想上の話」としてアリではないかと申し上げました。

作品情報

・監督:本広克行
・脚本:戸田山雅司
・音楽:中村正人
・配給:東宝
・公開:1996年5月11日
・上映時間:109分





 

『それでもボクはやってない』
現実と、事実と、真実と