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『徳川女系図』
東映初のピンク映画に見る、欲望の処し方

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こんにちは。本日のお題は、1968年5月に公開された東映映画『徳川女系図』です。徳川というくらいですから、舞台はもちろん江戸時代ですが、では時代劇なのかというと、ちょっと返答に窮します。確かに舞台は江戸の徳川幕府で、主役はその第五代将軍、徳川綱吉ですが、時代考証はどちらかと言えば雑ですし、目を見張るようなチャンバラがあるでもないですから。

タイトルに「女系図」とありますが、別に徳川の家に生まれた女子がどういう生涯を送ったかをフィーチャーする歴史物語などではありません。話は、綱吉が大奥と呼ばれるハーレムで肉欲の赴くままに好き放題をし、挙げ句、ろくでもないことに巻き込まれて落命するというもので、要するに、これでもかと女の色気を前面に出した、ピンク映画なのです。ちなみに本作は、大手映画会社(東宝、東映、松竹など)が手掛けた初めてのピンク映画と言われています。だから当然R18指定がかかっていますので、ご注意下さい。

と、ここで真面目な人は「なんだ、くだらねぇ」と一蹴するかも知れません。それも無理からぬことかと思います。しかし私は、当時の日本、あるいは日本映画史においてはなかなか軽視できない映画なのではないかと思っています。本作の興行成績は上々で、本作のヒットをきっかけに東映は、後に「東映ポルノ」と呼ばれるポルノ路線へ傾倒することになったのですから。

なぜ1960年代後半、ピンク映画は求められたのか?

日本では、江戸時代以来、売春が合法的なものとして存在していました。戦後の日本はGHQの占領下にあり、そこで売春をなくそうとする動きもあったのですが、実現には至らなかった。売春防止法が施行されたのは、GHQが撤退してしばらくしての1957年で、つまりそれまでの日本には、いかりや長介の自伝『だめだこりゃ』にあるように、男子がそれなりの歳になったら適当に売春婦をあてがって「男になる」が当たり前の風習としてあったのです。

それが公的に禁止されたらどうなるか? 男子はそれまでのやり方では「男になる」ができなくなり、男達の性的なフラストレーションは溜まるしかない。実際、犯罪白書を見ると、強制猥褻の「人口十万人中の発生率」は、売春防止法が施行される前年の1956年には1.84%ですが、本作が公開された年には3.56%と、ほぼ倍増しています。

多かれ少なかれ欲望は人間の身体に必然のものとして備わっています。である以上、どこかでそのガス抜きをしなくてはならない。さもないと、抑制された欲望は(往々にして)暴力的な形で世の中に還ってくる。どこかにその捌け口を設ける必要はあり、だからこそ売春防止法の施行からほぼ十年経って、大手映画会社によるピンク映画が隆盛したのではないか。それが時代の趨勢の必然だったのではないか。そんな気がするのです。

気持ちはわかるけど、そんなもん家で一人で観りゃいいだろ、と言われるかも知れません。しかし、ベータやVHSなどのデッキが普及したのは1980年前後のことで、1960年代に映像を観賞するには、テレビを観るか映画館に行くかしかなかったのです。

それに、本作はいわゆるアダルトビデオのような、男が「ヌく」ための映画ではありません。なんとなくそんな気がします。確かに序盤、綱吉は無数の女中達を相手に好き勝手します。数え切れないほどの女がスクリーン上に裸で乱舞するわけで、それは明白にハーレムであり、圧巻ですらあります。しかし、やがて女中達の派閥争いが顕著になり、彼は自分の実情に嫌気がさし、内省的になる。つまり中盤以降、本作は人間ドラマの様相を呈するのです。

こうなると、物語はむしろ「ハーレムなんかこしらえたって、最初はいいかも知れんけど、ずっとはつらいぞ」と訴えているようですらあります。「それより一人の女を愛して生きる方が、なんぼかええんちゃうか」と。

それは別言すれば「何でもほどほどにしときや」でもありましょう。しかし、皮肉なことに(というか)世の中は、当時のいわゆる「高度経済成長期」も、それ以降も、ほどほどにしておくという大人の知恵を忘れ、極まで突っ走ってしまう。だから日本は、1980年代後半にバブル景気に突入し、そのバブルが崩壊するまで猪突猛進してしまった。私はそう思います。欲望というのは、無理に抑制しても暴発するし、かといって無制限に解放しても破滅への近道にしかならない、そういう難儀なものかも知れないのです。

作品情報

・監督:石井輝男
・脚本:内田弘三、石井輝男
・音楽:八木正生
・配給:東映
・公開:1968年5月1日
・上映時間:90分





 

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