特撮映画というと、どうしても撮影技術や、どういうカットを撮ったかなどが重要視され、脚本は言ってみれば紋切型というか、そこまで重要視されていないような風潮があります。嘆かわしい話ですが、「絵を観ているんであって、話を観ているんじゃない」という観客もいるのだとか。
そういう意味では、日本の特撮映画という業界が瀕死の状態というのも、当然と言えるかも知れません。そりゃあ映画ですから、見た目の迫力やインパクトは大事でしょうが、繰り返し観て「味わえる」ストーリーがないのでは、大味すぎるじゃありませんか。
1954年、特撮映画の金字塔である『ゴジラ』が発表され、大ブームになりました。『ゴジラ』は今年もハリウッドでリメイクされるなど、未だにその名前とDNAを失っていません。しかし同じ1954年に公開された、もうひとつの特撮映画『透明人間』も、日本の特撮映画史の上で忘れてはならない作品と言えるのではないでしょうか。
キャバレー「黒船」でサンドウィッチマンのピエロとして働く南条は、同じアパートに住む盲目の少女にオルゴールを買う約束をしていた。そんな中、宝石店襲撃事件を追う記者・小松は南条に目をつける。大東亜戦争中に開発された透明人間特攻隊。彼らは皆戦争中に死に絶えたはずだったが、宝石店の襲撃犯たちはその生き残りであり、南条はそれらと何らかの関係がある、と。南条というピエロは、透明人間といかに結びつくのか・・・
簡単にプロットを述べてみましたが、この作品はミステリーではありません。あくまで、ストーリーを「味わう」特撮映画なのです。声高ではない社会への風刺と、ある種のファンタジー。脚本の密度の濃さでいえば、方向性は異なりますが、『ゴジラ』と双璧をなすものと断言できます。
撮影技術の面で言えば、『ゴジラ』は着ぐるみとミニチュア模型が主軸だったのに対し、『透明人間』は光学合成を当時の限界まで試みたもの。このアイデアとトライアルが、ストーリーに程よく陰影を付けている所にも、バランスの妙が出ているようです。
さて、余談ですが、この映画は「特撮の男」である円谷英二のみならず、撮影技師(つまりカメラマン)としての彼も堪能出来る最後の作品でもあります。