日本の夜空は、いつからこんなに真っ暗になってしまったのだろう。星も姿をくらませ、ならば代わりにと言わんばかりに街の灯がまやかしのように瞬くだけ。月の光も何処か寂しげで、我々は悲しみや慕情を馳せる対象を失ってしまったかに思えてならない。星よ、いずこへ?
洋の東西を問わず、古来より人は夜空に咲いては散る星に想いを馳せて来た。日本に(今で言うところの意味での)演歌が根付いたとされる1960年代。その時代を代表する演歌楽曲のひとつ、千昌夫が歌う『星影のワルツ』も別れ行く恋人同士を描きながら、そんな人々の習性を見事に訴えていた。
人は、人を好きになる。時として、それは双方の心を通じ合うものへ変わる。つまり両想いになるわけで、それは正に幸せと呼べるものだろう。ただ、好きなだけでは、一緒に居続けることが出来ない間柄が存在するというのも現実。好きであることと一緒に暮らして行けることは、別の話なのだ。
『星影のワルツ』の歌詞の中に出てくるカップルも、同じようなことを悟ったのだろう。2人は好きでいながら離れる決意をした。繰り返される「冷たい心じゃないんだよ」という言葉の放つやる瀬なさは、短調の楽曲との折り合いも良く、我々の胸に確かなせつなさを宿してしまう。そしてその作用はどうも国境を越えてしまったようで、日本のみならず中国や台湾でも、『星影のワルツ』は好評を博している。
しかし今や大気汚染や都市化によって、「星影って、今や星そのものが影に回ってるじゃないか」状態の夜空しか我々を包んではくれない。
だからこそ、『星影のワルツ』を聴くことで、我々は慕情や悲しみといったものを、架空の世界のではあるものの、夜空の星に馳せることが出来るのである。ゆったりとした渋いヴォーカルも、なかなか効果的じゃないか。