弥生のこの頃、日本のあちらこちらで桜の開花が目にとまる。そんな桜たちを彩る日本の歌というと、なんといっても幕末の歌曲『さくらさくら』(作者不明)が有名だろう。「♪さくらさくら やよいの空は」なるフレーズから始まるこの歌は現在にいたるまで、日本の幼稚園・小学校や果ては国際舞台においても歌われることが多い、まさに日本の桜の名曲と言って過言ではない存在だ。
そして、この歌へのオマージュであることは想像に難くない演歌の桜の名曲といえば、坂本冬美の1994年の名曲『夜桜お七』。『津軽海峡・冬景色』など演歌の名曲を数多くコンポージングしてきた作曲家・三木たかしと、これまた対照的に、それまで演歌の作詞の経験などなかった歌人・林あまりがタッグを組み、生まれた演歌曲だ。
桜の花の、その鮮やかさと儚さは、見る者を惹きつけてやまない。その桜花に林あまりがダブらせたのは、かの有名な「八百屋お七」の情愛であった。
1683年(江戸時代)、火災事件により家を焼きだされたお七なる女性がいた。彼女は(一時的に)寺への避難を余儀なくされた。しかし苦あれば何とやらで、その寺の小姓とお七は恋仲になった。避難生活は終わり、小姓とも別れる時が来た。しかしお七の小姓への恋慕は募るばかりで、あろうことか「火事であの人に逢えたのなら、また火事が起これば逢えるに違いない」と考えてしまい、彼女は自宅に火を放った。その火事はボヤですんだが、放火の罪に問われたお七は火あぶりの刑に処された。