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『Duty』
「民衆のための歌姫」━━浜崎あゆみ

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『Duty』
2000年9月27日発売

avex trax

01. starting over
02. Duty
03. vogue
04. End of the World
05. SCAR
06. Far away
07. SURREAL
08. AUDIENCE
09. SEASONS
10. teddy bear
11. Key ~eternal tie ver.~
12. girlish



青い下線は執筆者推薦曲を表しています。


作詞:浜崎あゆみ
サウンド・プロデュース:鈴木直人
プロデュース:MAX松浦
浜崎あゆみ(1978-)が日本のポピュラー音楽シーンに姿を現したのは1998年。世紀末。国内にいた者であれば誰もがそのことを覚えているであろう。そういう鮮烈なデビューではなかった。むしろ、その後の彼女の活躍から遡及的に見れば、あまりにもひっそりとしたデビューだった、と言えるかもしれない。デビュー・シングル「ポーカー・フェイス」は初登場20位(オリコン週間チャート、以下同)を記録するに留まった。この年のポピュラー音楽の顔は、GLAYやラルクではあっても、決して浜崎あゆみではなかった。

翌年1999年、事態は一変した。元日にリリースした浜崎のファースト・アルバムが1位を獲得、ミリオンセラーとなった。続いて春にリリースされた彼女の7枚目のシングル盤も1位を獲得。夏頃になると、昨年のスターであったラルクやGLAYは一歩後退し、時代の中心には浜崎あゆみと宇多田ヒカルが、疑いの余地なく据えつけられていた。誰か特定の個人が意図的に彼女たちをその座におさめたわけではない。民衆の総意としてそうなっていた。

ただし両者の位置は、ある意味で対極的であった。1998年末にデビューした宇多田は、当時10代半ばということもあり、そんなに表舞台には出てこなかった。実際、1999年の彼女のリリース点数はアルバム1枚にシングル3枚と、まぁ常識的というか、とても精力的とは形容できないペースであった。マスコミは、シンガーソングライターである彼女を希代の「天才少女」として祭り上げており、彼女がテレビに出るだとかシングルを出すだとかは、いちいちニュースとして取り沙汰された。

対する浜崎は、いわばコマーシャルの女王であった。とにかく、露出や点数が凄かった。この年に彼女の名義でリリースされたのは、アルバムが2枚にシングルが7枚、リミックス盤1枚。いかに(クレジット上は)作曲や編曲に彼女が関与していなかったとはいえ、尋常ではないペースである。単純に計算しても、宇多田の倍はリリースしている。加えて、テレビCMや雑誌などでも浜崎は大量に見かけられた。歌だけに留まらず、ファッション、メイク、スタイルなど、さまざまな面で彼女は脚光を浴びた。彼女が持つ影響力は絶大なものであった。そう言っていいと思う。

つまるところ、宇多田は「希少性や天才性を売りにした歌姫」であり、浜崎は「大量消費を前提にした歌姫」だったのである。かたやアルマーニで、かたやユニクロというか。もちろん、どちらが良いとか悪いとかではない。

明けて2000年。20世紀最後の年、ミレニアムだなんだと騒がれたこの年も、浜崎のポジションは、少なくとも外見上は揺るがなかった。ただし、実際の彼女はおそらく疲弊していたはずである。あの活動ペースは、一般的に考えて、身体に良くない。同年4月、彼女は突発性難聴を患ったことを発表。コンサート・ツアーの一部は延期となった。盤のリリースに関しては、この年も彼女は精力的であり、中でもシングル盤「シーズンズ」は2週連続1位を獲得、ミリオンセラーとなった。


9月には3枚目のスタジオ・アルバム『デュティ』が満を持してリリースされた。当然の如く、初登場1位。同日に発売されたミスチルの『Q』を抑えての1位であった。時代は確実に前に進んでいるんだな。ミスチルが時代の寵児になった頃を見てきたからか、当時そう実感したことをよく覚えている。『デュティ』は累計で300万枚にも迫ろうかというセールスを記録した。

ただ、時代の寵愛を受けている多幸感やきらめきを『デュティ』に感じることは、かなり困難ではないかと思う。少なくとも私には難しい。浜崎あゆみという当時21~22歳の女性が体感していたバーンアウト寸前のぎりぎり感と、やがて訪れるであろう凋落の予感。惑い、怖れ。前面に出ているのは、どちらかと言えばそういうものではないかと思う。


当今、浜崎あゆみという歌手は、あまりポジティブに語られなくなったように思う。どちらかと言えば、批判され、なじられる方が多いかもしれない。でも私は彼女を悪く言う気になれない。積極的に支持はできなくとも、貶めるようなことは言いたくない。彼女は自らが擦り切れることを承知で、文字通り全身全霊を懸けて、「民衆のための歌姫」を全うしてきたのであり、私は同時代においてその恩恵を確かに受けてきたのである。


浜崎あゆみ official website





 

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