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『孤独の太陽』
桑田佳祐の「究極の愛」と「究極の影」

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「愛」という概念については、十人十色の意見があるかと思う。が、究極の愛というところでは、母性の愛、すなわち無償の愛になるのではないだろうか。一切の見返りを求めず、相手に与えてゆく愛。そう、母性の愛であり、それはさながら太陽のようなものである。この母性が欠落、あるいは未成熟の状態で、つまり母親が子供に何かを求めてしまう形で接すると、親子関係が噛みあわず虐待などが起こり、最悪の場合、殺傷事件に発展したりする。


孤独の太陽
1994年9月23日

Victor Entertainment
価格: 2,190円+税


01. 漫画ドリーム
02. しゃアない節
03. 月
04. エロスで殺して (ROCK ON)
05. 鏡
06. 飛べないモスキート (MOSQUITO)
07. 僕のお父さん
08. 真夜中のダンディー
09. すべての歌に懺悔しな!!
10. 孤独の太陽
11. 太陽が消えた街
12. 貧乏ブルース
13. JOURNEY

青い下線は執筆者推薦曲を表しています。

全作詞・作曲: 桑田佳祐
プロデュース: 桑田佳祐
そんな太陽のような愛を持てるかどうかが、人の親になることのカギでもあるわけだが、そんな太陽は、少なくとも我々が知覚し得るのは、言うまでもなくひとつ。孤独なのだ。母性の愛たるものの、影の側面。サザンオールスターズの代表者でもある桑田佳祐が、1994年に発表したソロ・アルバム『孤独の太陽』は、そういったものを内包していると感じるアルバムなのだ。

最近でこそサザンと桑田ソロの境界線は極めて薄くなっているが、『孤独の太陽』はサザン・桑田ソロをあわせたキャリアの中でもひときわ異色の作品となっている。

まず、何といっても全体としてのムードが暗い。それは音楽のデパートとしてのサザンのアルバムとも、「自身にとってのポップス」を目指して作られたソロ・ファースト・アルバムとも合致しない、オルタナティヴな「桑田佳祐」をうかがわせる。そしてその暗さこそが、有能なミュージシャンシップによる所も大きいが、結果的にポップスとしての輝きを呼び起こしている。ここにあるのは、決して独善的な闇ではない。

話は前後するが、『孤独の太陽』の製作中、桑田の実母が亡くなっている。実母の亡骸に寄り添い、その時浮かんだ楽曲もここには収録されている。というと誤解されそうだが、実母の死を目の当たりにしたからアルバムのムードが暗いというのではないのだ。

推測にすぎないが、おそらく実母の死に際し、桑田自身、実母から与えられた母性の愛を再確認したのではないだろうか。究極の愛を改めて感じる、けれど残された者としてのどうしようもない孤独もまた感じずにはいられない。この「愛と死」とは、そのまま『孤独の太陽』なのだ。最後の曲「ジャーニー」では「♪きっと誰かを愛した人はもう知っている」と歌われる。

究極の愛、太陽。その影の部分にあたる、孤独。この陰と陽が桑田佳祐というフィルターを通して出て来た時、『孤独の太陽』というポップスに成った。それゆえの暗さだと思う。光があるから、影が際立つのだ、と。





※参考文献:
『桑田佳祐言の葉大全集 やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』新潮社・2012年


sas-fan.net







 

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