パチンコ屋などは、よく「新装開店」などのフレーズを使って客を呼び込もうとしますが、バンドや歌手などの類が「リニューアル」というのは難しいでしょう。今まで人間として培ってきたモノをいったん白紙にして、新たに何かを創造するということは。
スピッツが2002年にリリースした、彼らの10枚目のオリジナル・アルバム『三日月ロック』は、その困難を乗り越え、新たな自分たちを確立し、さらにオリコン週間チャートで1位をマークするなどのポピュラリティをも獲得した、「稀有な名盤」足り得るのではないでしょうか。現在にいたるまで共同作業を続ける音楽プロデューサー・
亀田誠治との出会いのアルバムでもあるわけで、スピッツの新たな「ゼロからイチへの歩み」が、ここにはあるのです。
今回、スピッツをメジャー・デビュー当時からディレクションしてきた
竹内修さんに、『三日月ロック』について伺いましたので、その発言の一部を以下に。
「'99年に『リサイクル』というベスト・アルバムが、レコード会社(ユニバーサル ミュージック)によって一方的に組まれ、それまでのスピッツが無理矢理まとめられたんです。で、2000年には、そこへのフラストレーションを含んだ形で『ハヤブサ』というアルバムが作られました。そのアルバム・ツアーを以て、デビュー以来のスピッツというのが一旦リセットされたわけです。だから『三日月ロック』は、今につながるスピッツの最初のアルバムですよね」
もしかするとソングライターの草野正宗自身、新たな始まりをこのアルバムに求めていたのかも知れません。「水色の街」「ババロア」のような抒情性の高いものから、もし架空のバンドを組んだら、というテーマで作られた「ミカンズのテーマ」まで、ポジティヴな意味で、楽曲の振れ幅は大きい。
折れた刃のような三日月、そこから連想されるのは夜。オープニングを飾る「夜を駆ける」から、ラストの「けもの道」で訪れる日の出まで、紡がれるのは13の夜の物語です。
なお、アルバム・タイトルに関しては、前述の竹内さんいわく「〈ロビンソン〉(’95)でも♪ぎりぎりの三日月も僕を見てた~、って唄っていましたから、好きな言葉ではあるんでしょうね。ただ、『三日月ロック』は、当時メインに使っていたスタジオが
クレッセント・スタジオで、クレッセントだから三日月、という楽屋オチはあります」とのことです。