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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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『タッチズ&ヴェルヴェッツ』
南博と菊地成孔の「1950年代のニューヨーク」

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こんにちは、皆さん。本日のお題は、ジャズ・ピアニストの南博が2004年にリリースした『タッチズ&ヴェルヴェッツ』です。この全5曲入りのミニ・アルバムをプロデュースしたのは、南と深い縁を持つ菊地成孔。同盤の解説で菊地は南のことを「敬愛するピアニスト」と紹介しています。

南博は1960年、東京生まれ。1991年にバークリー音楽大学を卒業し、以降、ジャズ・ピアニストとして国を問わず活躍してきました。南のピアノは菊地の言う「粋」を体現したものであるらしく、菊地は自身の代表作『南米のエリザベス・テイラー』(2005)他、様々なセッションで、南を起用してきました。

では菊地成孔とは何者か。菊地は1963年、千葉生まれ━━つまり南よりも3歳年下のジャズ・サックス奏者です。菊地はアメリカのバークリーには通わず、日本の音楽学校を出て、主に日本で活躍してきました。たとえば、黄色5が2000年にリリースした「黄色いお空でブーム・ブーム・ブーム」には、菊地がサックスで参加していたりします。


『Touches & Velvets』
2004年10月21日発売

ewe records

01. B Minor Waltz
02. Scrapple from the Apple
03. Madrugada
04. Quiet Dream
05. Closing Velvets
菊地は南と出会い、そのピアノに惚れ込みました。やがて21世紀初頭、菊地は南のピアノを最大限に活かしたアルバムを、自身がプロデュースする形で作りたいと考えます。南のそれまでのディスコグラフィには、菊地が納得できる作品がなかったのでしょう。

そこで本作にA&Rとしてクレジットされているレコード会社のディレクター高見一樹(1963-)と、南と、菊地の3人で企画が綿密に練られました。どういうアルバムが南のピアノを最も輝かせるか。自分達は、南のどういったピアノを聴きたいか。その一部始終は、本作に封入されている解説文で確認できます。

興味深いのは、ここで本作のテーマに「1950年代のニューヨーク」が選ばれたことです。確かに、ジャズが好きな人にとっては、1950年代のニューヨークというのは、多少なりとも憧れを馳せるものでしょう。ブルーノート・レーベルが1939年に同地で開設され、その黄金期を迎えたのが1950年代。そこにはソニー・ロリンズがいて、セロニアス・モンクがいて、ジョン・コルトレーンがいて、帝王マイルズ・デイヴィスとキャノンボール・アダレイのセッションもあった。このメンツにはちょっと太刀打ちできないだろう、というような豪華ラインナップです。

1940年代にビバップの勃興があり、1950年代にはハード・ビバップからファンキーへ、そしてモード・ジャズへと時代は移ろいました。ジャズに興味のない人には「何が何やら」でしょうが、要するに、ジャズの歴史にとって1930~50年代は重要な意味を持つ、ということですね(その前後がどうでもいいってわけじゃありませんが)。

ここで肝心なことは、南も菊地も高見も「その時代をリアルタイムで過ごしていない」ということです。彼らが生まれ育ったのは1960年代、日本で言えば高度経済成長期です。そこにはプレスリーの凋落と復活があり、ビートルズの伝説化と分裂があり、日本が「借金漬け」になるきっかけになった東京五輪があり、都はるみの活躍があった。三島由紀夫の右傾化があり、アポロ計画は真っ盛りだった。しかし、当然のことながら、1950年代は終わっているのです。そこに生まれた彼らには、遡及的に追体験するより他に、1950年代のニューヨークを把握するすべがない。なればこそ彼らには、その「自分達が体験できなかった時代」への憧れが強くあったのではないでしょうか。

個人的には、やはり1曲目の「B・マイナー・ワルツ」と、ラストを穏やかに飾る「クロージング・ヴェルヴェッツ」が好きです。甲乙つけがたい。仮想としての「1950年代のニューヨーク」━━その入口と出口にあたるこの2曲は、ともすればある種の鎮魂曲レクイエムに相当するのかもしれませんが、何度聴いても惹き込まれるです。







 

『スプーキー・ホテル』
そんなに悪くないはずなんだけどな

『デリシャス3』
よくぞこのセッションを実現してくださいました