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『冬のリヴィエラ』
森進一の、ポップス風演歌?

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先生(以下:S):今回は演歌歌手、森進一が1982年11月に発表したポップス風演歌「冬のリヴィエラ」について、アシスタント=Aといってみよう。ちなみにリヴィエラとはイタリア語で「海岸」の意。

A:ポップス風演歌という紹介からして、大きく矛盾がある気がしますけど、先生!


S:まぁそこはおいおい。まずは概要から見てみよう。作詞はポップス界の大御所、松本隆。「硝子の少年」(1997年)、「赤いスイートピー」(1982年)、「ルビーの指環」(1981年)の詞を手掛けた、元はっぴいえんどのドラマーだ。作曲は同じく元はっぴいえんどの大瀧詠一。彼の楽曲提供の例としては「夢で逢えたら」(1976年)や「探偵物語」(1983年)が挙げられる。

A:若いんで「硝子の少年」と「夢で逢えたら」しか判んないですけど。つまり、1982年当時からするとメチャクチャ豪華な布陣だったってことですか、先生。

S:この松・瀧コンビは、前年に松田聖子の「風立ちぬ」をチャート1位にしてるし、同じく前年に大瀧自身が発表したアルバム『ア・ロング・ヴァケーション』も、久々に松本を作詞に起用したアルバムだったんだけど、やはりミリオン・セラーになってたからなぁ。だからまぁ森進一サイドも相当な期待ではあっただろうね。

A:あ、だからポップス風演歌なんですね、先生。

S:いや、そこはね、森進一と世間のねじれがあるわけよ。というのも、森自身は自分を演歌歌手だとは規定していない。良い音楽だったら何でも取り入れたい、流行歌手なんだ、と。それは美空ひばりなど、'40~'60年代出身の歌手だったら、大なり小なり、誰でもそういう葛藤を抱えてたとは思うけど(森は1966年に歌手デビュー)。

A:でも、世間は彼のことを演歌歌手としてしか認知しない。それで折衷案として「ポップス風演歌」と?

S:実際、大瀧自身、歌入れに立ちあったときに「もっと森進一らしく歌え」と森に言ったらしい(※1)。森はポップスを歌おうとしたらしいんだけど、大瀧はそれを望まなかった。ここにもう歌手本人と外野との径庭が見えるわけさ。でも結果として「冬のリヴィエラ」は、「襟裳岬」や「おふくろさん」に並ぶ、森の代表曲の一つになった。

A:この場合、外野の方が冷静な目を持っていた、と?

S:結果論でしかないからなんとも言えないけど、そういうことはあるだろうね。詞を手掛けた松本も、のちに細野晴臣と鈴木茂との鼎談で、やりたいことをやると上手く行かなくて、周りにやらされたことのほうが上手く行く、そういうもんだよ、みたいなことを言ってたから(※2)。仕事ってそういうところがあるんじゃないかな。


※1:『松本隆対談集 風待茶房 1971-2004』リットーミュージック、2017年
※2:『松本隆対談集 風待茶房 2005-2015』リットーミュージック、2017年

作品情報

・作詞:松本隆
・作曲:大瀧詠一
・編曲:前田憲男
・歌唱:森進一
・発表:1982年11月21日
・レーベル:ビクター音楽産業







 

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