ポルカドットスティングレイは二〇一五年に結成され、二年後の二〇一七年にユニバーサルよりメジャー・デビューを果たした四人組バンドである。彼らが二〇二〇年十二月にリリースした自身三枚目となるフル・スタジオ・アルバム『何者』が今回のお題である。
『何者』は
(1)CDのみの通常盤
(2)CD+Tシャツの「あなたはなにものパック」
(3)配信ライブ「教祖爆誕」のDVD付きの「わたしはなにものパック」
の計三種類での販売。また、CDは十三曲収録となっているが、配信サイトでダウンロードした人には特典として十四曲目に「ポーズ(何者ver.)」が付く仕様。
「教祖」というのは、ポルカでボーカルとギターを務め、作詞、作曲も担う雫(一九九二~)のことらしい。わざわざ「教祖」を標榜するのだから、恐らく彼女がバンドの中心人物なのであろう。ポルカドットスティングレイとはそもそもエイの名前であるが、その名前のパンチの強さを気に入り、バンド名に冠したのも彼女だというし。
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『何者』(通常盤)
2020年12月16日発売
ユニバーサル ミュージック
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01. トゲめくスピカ
02. FICTION
03. FREE
04. SQUEEZE
05. バケノカワ
06. SHAKE! SHAKE!(雫カリウタver.)
07. 阿吽
08. 女神
09. JET
10. ストップ・モーション
11. さよならイエロー
12. 化身
13. 何者
※青い下線は執筆者推薦曲を表しています。
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彼女は平気で「教祖」を標榜できる。その点に私は隔世の感を覚える。ポルカは四人とも九〇年代生まれである。それなら、八〇年代後半から九〇年代半ばにかけて世間を騒がせ続けたオウム真理教事件の数々を、彼らはリアルタイムでは知らないであろう。また、雫が生まれたのは一九九二年十月と仄聞するが、それは尾崎豊が他界した半年後でもある。
オウム真理教事件や「尾崎豊の悲劇」の教訓は「教祖が信者を狂わせることもあれば、信者が教祖を祭り上げて狂わせることもある」であったろう。それで一時は、宗教がやたらと危険視されるという風潮が日本中を領した。しかし、ポルカはそのへんのことを肌で知らない。生まれていないか、生まれていても物心がついていない。それなら「教祖」を(恐らくはノリで)逡巡なく名乗ることもできる。私はそれを難じる気などはなくて、ただ「そういう世代がもう社会に出てきてんだな」と思うだけである。
私は何の話をしているのか? 恐らく「ポルカとは何者なのか」を、世代論を切り口に語っている。
彼らは九〇年代をリアルタイムで知らない。ということは、世紀末に生まれた彼らは世紀末そのものを知らないということである。つまり、彼らは「二十世紀」を肌で知らない。それは別にポルカだけではない。米津玄師や山崎あおいなど九〇年代生まれの人は、みんなそうであろう。
だからか、個人的にはポルカの音楽に「二十世紀」は感じにくい。彼らの音楽は、難しさをめっぽうアピールするプレイと、言葉を性急に詰め込んだような歌唱スタイルが特徴的である。それは「ポスト東京事変」とか「ポストボーカロイド」とでも形容し得る音楽スタイルで、紛れもなく「二十一世紀」的な音楽だと思う。
本作『何者』にはいろいろなタイプの曲があるという触れ込みであった。でもここには「二十世紀」を感じにくい。シンプルなロックンロールだとか、管弦隊をふんだんに使った歌謡曲ライクな曲だとか、そういう「ベタなポップス」がない。それが「二十一世紀っぽさ」を醸し出している反面、ともすれば中高年には受け容れにくいタイプのアルバムかも知れない、とも思う。
彼らは「お年寄りから小さい子供にまで広く愛される音楽」を目指していないのだろうか?
目指していないかも知れない。彼らが物心ついた二十一世紀、〇〇年代以降のポップスにおいては、国民的ヒットとかミリオンセラーというのは、大手芸能事務所の力がバックにないと成立しないものになっていた━━サザンオールスターズや福山雅治、SMAP、AKB48、星野源など。ポルカ世代が人格を形成し、感受性を養い、育ってきたのは、そういう時代だった。そしてポルカは大手芸能事務所に属してはいない。だから彼らは「国民的ヒットというのは自分達が担うようなもんじゃない」と思っているかも知れない。
いやいや、充分狙えるやろ! 私は本作をそう評価している。頑張れ、ポルカドットスティングレイ。