先生(以下:S):今回もアシスタント=Aといってみよう。よろしく、ね(by ゆーとぴあ)。で、今回は演歌歌手の川中美幸が1998年元日にリリースした「二輪草」なんだけど、知ってるかな?
A:当時のランキング番組で微かに聴いたことがあるかなぁ程度です。長野オリンピックで盛り上がってた記憶はあるんですけどねぇ。少年隊の「湾岸スキーヤー」とか。あ、これ終わったら春スキー行きませんか、先生。
S:行かないよ(笑)。何の話なのよ。「二輪草」はね、演歌には珍しいハッピーな熟年カップルの歌なんだよ。「春がそこまで来たようだ/よかった一緒についてきて」とか唄ってる、熟年おのろけソング。
A:ひがまないでください、先生。
S:ううん、泣いてなんか。じゃなくて。えーと、そうそう、川中には1980年の「ふたり酒」みたいな夫婦ソングもあったことはあったんだけど、あっちはもうちょっと歌詞に悲愴感があった。演歌って基本的に悲恋と自虐性が売りの世界だから。でも「二輪草」には、そういった悲劇性は薄めで、ささやかな幸福感が基底にある感じなんだね。
A:悲劇性を売りにした演歌が求められなくなった時代ということですか、先生。
S:そうなんだと思う。さっき言ったように、これは長く連れ添った熟年カップルの歌なのね。それで、これがまたウケた。川中は紅白でこの歌を5回歌ったくらい、つまり川中の代表曲と言って差し支えがないくらい、メガ・ヒットになった。ということは、少なくとも1998年の時点では、演歌はほぼ高齢者しか聴かなくなっていた、そして彼らの多くは、自虐や悲恋よりも、肯定感を欲してたんじゃないのかと思えるわけだ。
A:ああ、確かに当時って、歳とったら演歌とか聴くのかなって思ってました。年寄りの音楽ってイメージでしたね。この流れが2000年の「
孫」のヒットに結びつくんですかね、先生。
S:あれは確かに「二輪草」の続編としても聴けるね(笑)。この頃から保守派が「自虐はもういいよ、肯定して欲しい」と思い始めたのかもね。で、それが当今の右傾化に繋がると。
A:音楽と政治がごっちゃになってます、先生。
S:ほら、「歌は世につれ、世は歌につれ」って言うからさ(笑)。暴論だけどね。まぁ、カタい話は抜きにして、来たる春を慈しむカップルの歌を楽しむには良い季節ですよ、と。
A:じゃ、春スキーっスね、先生。