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■ 12月31日から1月30日にかけて、「一九九六年の音楽」をフィーチャーします。







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『深海』
意外と長く深く━━

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十代の頃に何の気なしに聴いた音楽が、その人の身体や精神に意外と長く深く沁み込んでいることがある。この『深海』というアルバムは、私にとってそういう作品かもしれないと、今になってふと思う。私は本作を、十代の頃にレンタルして聴いたっきりで、買ったことはないし、誰かのを借りパクしたこともない。はっきり言って縁としては薄めの作品ではあるのだけど、にもかかわらず、本作の「シーラカンス」━━アルバムの実質的なオープニングナンバーと言っていいだろう━━や「ソー・レッツ・ゲット・トゥルース」や他の収録曲を、折に触れて口ずさむことがあるから。


『深海』

1996年6月24日発売
トイズファクトリー

01. Dive
02. シーラカンス
03. 手紙
04. ありふれたLove Story ~男女問題はいつも面倒だ~
05. Mirror
06. Making Songs
07. 名もなき詩
08. So Let's Get Truth
09. 臨時ニュース
10. マシンガンをぶっ放せ
11. ゆりかごのある丘から
12. 虜
13. 花 -Mémento-Mori-
14. 深海


作詞、作曲: 桜井和寿
編曲、プロデュース:小林武史&Mr.Children


そんなに気に入っているなら買えばいいじゃないか、それくらいのカネはあるだろうと言う人もいるかもしれない。その言い分はよく分かる(カネがあるから買うというのは下品な考え方だと思うけれども)。でも買って自分のものとしてラックに配架しておくのは、なんとなく気が引けるのである。理由は自分でもよく分からないが、そう思うのだから仕方ない。ただそうは言っても、本作からカットされたシングル盤「マシンガンをぶっ放せ」は持っているのだけど。

『深海』は日本のロック・バンド、ミスター・チルドレンが九六年六月に発表した自身五枚目のスタジオ・アルバムである。ただ、今では「ミスター・チルドレン? 知らんなぁ。ミセスなら聞いたことあるけど」と言う人もいるかもしれないので、順を追って説明していきたい。

ミスチルことミスター・チルドレンが、八〇年代にスタジオ・ミュージシャンとして頭角を現した小林武史(一九五九~)をプロデューサーに迎え、トイズファクトリーからメジャー・デビューを果たしたのは九二年五月。九一年末のソヴィエト連邦崩壊の影響がまだ色濃く残る世界に、彼らは期待の新星として華々しく現れた━━といったことはなくて、さほど注目を集めなかったミニ・アルバムを携え、ひっそりデビューしたという感じだった。当時の音楽界のスターは、ビーズやチャゲアスやドリカムではあっても、ミスチルではなかったのである。

その証拠にと言おうか、九二年に彼らはシングルを二枚発表したが、それらはいずれもオリコン週間チャート五十位以内に入ることなく、若い彼らは━━特にメイン・ソングライターである桜井和寿(一九七〇~)は━━売れるための苦戦を強いられた。その試行錯誤は翌九三年、実を結ぶ。


九三年十一月、四枚目のシングル「クロス・ロード」を発売。この曲はドラマ主題歌に採用されたこともあってか、初めて同チャートのトップ・テンに入るヒットとなった。その後も長期間チャート上にランクインし続け、翌九四年春に売上枚数が百万を突破。その勢いに乗って、同年六月にリリースされた五枚目のシングル「イノセント・ワールド」は同チャート初登場一位を獲得し、同年間ランキングでも一位になるほどのスマッシュ・ヒットとなった。余談ではあるが、この九四年の初夏というのは、当時小学五年生だった私がポピュラー音楽に興味を持ち始めた時期で、ミスチルやtrfが時代の寵児だったあの頃の景色や空気感は、三十年以上経った今でもありありと思い出せたりする。


翌九五年も彼らの快進撃は止まらず、五月と八月に出したシングルはそれぞれミリオンセラーになり、老いも若きも(好き嫌いはそれぞれあるにしても)ミスチルを知らないなどはそうそうないという状況が現出した。当時四十代半ばだった私の父も、彼らのヒットソングをカセットに録音して愛聴していたから━━取り分け「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」が好きだった━━当時のミスチルの知名度は相当なものだったと思う。


一九九五年。戦後五十年という節目にあたるこの年、大阪北部にいた三坂家も被災した阪神淡路大震災や、カルト教団が東京の複数の地下鉄に猛毒サリンを同時多発的に撒いたオウム真理教事件が起きる。日本全土を不穏なムードが領していたのかどうかは分からないが、少なくとも首都圏や近畿圏においては、お世辞にも明るいとは言い難い空気が瀰漫していただろう。そういう世間の空気感から逃れるためか、はたまた有名になり過ぎて嫌気がさすようなことが多くなったからなのか、九五年十二月から翌春にかけて、ミスチルはそれまで拠点にしていた東京を離れ、アメリカでのレコーディングにとりかかる。そして出来上がり、発表されたのが本作『深海』である。

このアルバムには、当時アルバムに回収されずに置かれていた九四~九五年のヒット・シングルは一つも収録されず、九六年の二月と四月に出たシングル曲しか入っていない。それは取りも直さず、ミスチルの「昨年までの自分達とは一旦手を切る」という意思表示でもあったと思う。少なくとも、そういうある種の「隔絶性」を彼らが意識していたことは間違いない。アルバムは全体的に重くアシッドなテイストで統一されていて、時代の寵児であるポップな華やかさとはしっかり一線を画している。

小林やミスチルはこの「統一感」に重きを置いたのか、本作には楽曲同士が繋がっているように編集されている箇所も多くあり、リスナーが「アルバム全体を通して提示される世界観」を味わいやすい仕様になっている。裏返して言えば、ある意味で世間の聴衆を突き放した、かなり「キャラの立った」作品でもあるのだが、それでも本作は初週だけで百五十万枚以上を売り上げ、累計では二七〇万枚以上のセールスを記録した。当時の彼らの人気が、どれほど凄まじかったのかを改めて思い知らされる数字と言おうか。


二〇〇一年、本作の「花~メメント-モリ~」のリメイクが(シングル「優しい歌」のB面曲として)発表された。それがどうしたと思われるかもしれないが、ミスチルが一旦公に出した自身の曲のセルフカヴァー(リメイク)を発表するなどは、彼らのキャリアを通史的に見てもなかなかないことなのである。それを考えると本作は、私にとってのみならず、彼ら自身にとってもまた存外にプレゼンスを持つ作品なのかもしれない、と思ったりもする。


Mr.Children





 

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