『スプリング・イズ・ヒア』
小曽根真の初のスタンダード集、らしいけど

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『スプリング・イズ・ヒア』
1987年4月22日発売
CBSソニー
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1. Beautiful Love
2. Spring Is Here
3. Someday My Prince will Come
4. On the Street Where You Live
5. The Night Has a Thousand Eyes
6. My One and Only Love
7. O' Grande Amore
8. Tangerine
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こんにちは。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。本日のお題は、ジャズ・ピアニストの小曽根真さん(1961-)がデビューして間もない1987年に発表した『スプリング・イズ・ヒア』です。これは、小曽根さんとしては初になるのかな? スタンダード曲ばかりを演奏した、自作曲を一切含んでいないアルバムです。
小曽根さんは1983年、バークリー音楽大学を首席で卒業したジャズ・ピアニストです。凄いですね。翌1984年には『オゾネ』というデビュー・アルバムを発表。これはアメリカと日本での同時発売で、いわゆる「世界デビュー」でした。
もちろん、それは小曽根さんのピアノが高く評価されていたからです。まずはそれがある。でも、それだけでは「世界デビュー」は出来ません。当時20代の若者であった小曽根さんをバックアップした誰かがいたのです。
その誰かとはゲイリー・バートン━━スタン・ゲッツやパット・メセニーとの共演でも名高いジャズマンです。彼は70年代からバークリーで教鞭をとっていて、小曽根さんは彼に師事していた。そこで小曽根さんを見出したゲイリーは、小曽根さんのデビュー作を含む初期数作(今作を含む)をプロデュースします。小曽根さんとゲイリーの縁はなんとも深いもので、その後も折に触れて彼らは共演アルバムを発表しています。
さて、小曽根さんはデビュー後も『アフター』や『ナウ・ユー・ノウ』など、自作曲を中心としたアルバムを、ワールドワイドにリリースしていきました。そんな中、今作『スプリング・イズ・ヒア』は、『ナウ・ユー・ノウ』に並行する形で、1986年12月に録音されます。
どうやら今作は日本のレコード会社から持ち込まれた「企画モノ」のようで、日本国内限定リリースだったそうです。なんとなくわかりますね。というのも海外では自作曲を演る方がスタンダードを演るよりも圧倒的にウケるんです。でも、日本は逆です。聴衆は音楽家に「知っている曲を演れ」と文句を言う。だからポップスでもカヴァーばっかりという歌手がごまんといます。日本では音楽家の独自性なんて、見向きもされない。それだけの耳を持った聴衆は圧倒的に少なく、ただ聴衆の認知度にマッチした「曲目」が望まれる。
それでおそらく、日本のレコード会社は小曽根に打診をする━━「あのさ、君のピアノさ、とっても良いんだけど、みんなが知っている曲が無いじゃない。これだとさ、日本人にはちょっと売りにくいんだよね。お金は出すからさ、スタンダードもちょっと演ってくんないかな?」みたいに。80年代後半の日本は、バブルに突入する時期です。イケイケです。三菱地所がロックフェラー・センターを、ソニーがコロンビア映画を買収した時代です。若手のピアニストにそう打診する予算くらいは、どうにでもなったでしょう。
そう考えると、アルバム・タイトルになっている「スプリング・イズ・ヒア」には、小曽根さんのある種のアイロニーが籠められていたのかも知れません。直訳すれば「春はここにある」━━そういうタイトルなんですが、この曲の歌詞は結構厳しいんです。ちょっと訳してみます。
「春はここにあるというのに
どうしてそよ風に心躍らないのか
星が姿を現す夜も
どうして私を虜にしてくれないのか
誰も私を愛していないから、かも知れない
春は訪れている、らしいのだけど」
どうでしょう。なんか苦い春というか、ちょっと厳しい感じですよね。小曽根さんが「頑張って曲を作っても、日本人は俺の曲なんか求めちゃいないんだ」という気持ちをこの曲に託したと考えても、そう不思議ではない気もします。ピアノ・トリオですから、今作には歌詞はありませんけど。
今作は「スタンダード集」ということになるのですが、今の時代に、これらの曲がどれほどの知名度を持っているのかはわかりません。私だって、いずれの原曲も知りませんし。でもそれはそれとして、何度聴いても飽きの来ない演奏というか、聴く度に「いいなぁ」と思います。
・小曽根真 Makoto Ozone Official Website

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そんなに悪くないはずなんだけどな