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『日本の夏からこんにちは』
もし2020年に「コロナ禍」がなかったら

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2020年は新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックによる「コロナ禍」に覆われた1年だった。少なくとも日本国内に限っては、そう総括してよろしいかと思う。私個人の実感としては、この新型コロナウイルスは感染しようがしまいが人をうんざりさせる病気なんだな、というのが偽らざるところである。この2020年は、げんなりと気疲れすることの多いストレスフルな1年だった。日本に暮らす多くの人にとってそうだったのではないかと思う(もちろん、コロナ禍なんて自分の周囲では露ほどもなかったという人もおられようが)。いやはや、皆さん本当にお疲れ様でした。まだ終わってはないけれど。

そういう2020年を事後的に振り返り、ふと思う。もし新型コロナウイルスのパンデミックがなければ、2020年はどういう年になっていたんだろう。それは「あり得たかもしれない過去」を空想することである。戦争がなければ1940年に東京で開催されていたはずのオリンピック大会は、果たしてどのようなイヴェントであり得ただろうと夢想するような。


『日本の夏からこんにちは』
2020年7月8日発売

Sony Music Associated Records

01. 日本の夏からこんにちは
02. 夏が来る!
03. 湘南バットボーイ
04. 知らんけど feat.寿君
05. GOD’S BREATH
06. 潮風の中で
07. 君がいるから
08. 自由への卒業
09. 夏のDeja Vu
10. MY BLUE HEAVEN
11. いただきSummer
12. Route 567

青い下線は執筆者推薦曲を表しています。
本作『日本の夏からこんにちは』は、2020年の7月にチューブがリリースした、彼らの34枚目のスタジオ・アルバムである。ミニ・アルバムを除けば実に5年ぶりとなる久々のスタジオ・アルバムで、オリコン週間チャートでは初登場3位を記録した。

チューブは1985年にデビューした4人組バンドで、夏にまつわるヒット曲が多いことから、前世紀末には「夏といえばサザンかチューブ」と言われていた。いわば夏の風物詩であるが、このあたりのことを覚えている人は、おそらくもう30代以上であろう。とはいえ、現状、日本の人口の半分は45才以上なので、今でも「チューブ=日本の夏」の公式(?)は充分通じると思う。

年齢の話を続けると、チューブの面々ももう50代半ばである。大多数の歌手はキャリアの蓄積に反比例して寡作になっていくもので、2012年頃までは毎年新作を発表していた(なんなら1年に2枚アルバムを出すこともあった)チューブも、ここ何年かは新作の音沙汰がなかった。その彼らが2020年、久々に新作を発表した。それが『日本の夏からこんにちは』なのである。

本作の制作は2019年12月から始まった。この時点では新型コロナウイルスはほとんど話題になっていなかった。明けて2020年の4月、新型コロナウイルスは全国的な感染拡大を見せ、これを受けた日本政府は緊急事態宣言を発令する。このときチューブは本作の制作の最中で、発令を受け、音楽制作は一旦中断された。その後、再開されたものの、やはり緊急事態宣言の前と後では歌い手のメンタリティーや唄うべき言葉も変わってくる。今唄うべき歌は何か? そう考え、歌詞をリライトし、仕上がったのが「ルート567」であるという。

つまり、本作には「コロナ禍」以前と以後が混淆的に同居している。そう申し上げてよかろうと私は思っている。

本作を引っさげて、チューブは、2020年9月に横浜スタジアムで大規模なコンサートを催す予定であった。久しぶりに日本の夏をチューブと楽しもう。そういう祝祭に向けて、本作はつくられるはずだった。

2020年9月当日、スタジアムでのコンサートは結局、観客を入れない形で開催された。観客はネット配信でコンサートの映像を観る。そういうスタイルが採用された。通常の形でコンサートを開けば、観客やスタッフの間で感染拡大のリスクが劇的に高まるのだから、それは仕方のないことである。けれど、それがコンサートの本来的な形ではないこともまた明白であった。

もし新型コロナウイルスのパンデミックがなければ、2020年はどういう年になっていただろう。チューブはどんなアルバムをつくり、それを引っさげたコンサートはどのようなものとして実現され、日本の夏はどのようなものとして人々に記憶されただろう。変数が多過ぎるため、今となっては誰にも推量のしようがない。そんなことを考えてもしょうがないだろうと、自称「リアリスト」は冷笑的に言い捨てるかもしれない。

ただ、本作には「コロナ禍」以前と以後が不可分的に同居している。そう考えれば、本作を通じて「あり得たかもしれない2020年」に思いを馳せるのも決して無理な話ではないと思う。上に述べたように、2020年はいろいろと気詰まりのする年であったのだし。



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