先に断っておく。今回の主題である「アロマペンディフューザー」は、今(二〇二五年)から十何年か前に現れた時代の徒花的な文房具である。今はもう生産されていない。そのことを念頭に置いて以下の話にお付き合い頂ければ幸甚である。
順序として、まずは「アロマペンディフューザー」とは何かを説くべきであろう。この長ったらしいカタカナ語は、本来なら「アロマペン」と「ディフューザー」を区切って表記すべきものである。ディフューザーとは、馴染みがない向きも多かろうが、その意味するところは「拡散するもの」で、アロマは「芳香」を意味するフランス語。つまりは「良い匂いを拡散するペン」ということになる。敢えて重箱の隅をつつくなら、「アマロディフュージング・ペン」と命名されるべきアイテムであろう。
ほほお、そんなペンがあったのか。その通り。日本の大手文具メーカーであるセーラー万年筆が、香りのリーディング・カンパニーを自称する「アットアロマ」とコラボレート(共同開発)して、二〇一〇年代前半に販売へとこぎつけたボールペン。それが「アロマペンディフューザー リロマ」である。
セーラー万年筆 広島工場(旧天応工場)
出典:THE SAILOR PEN CO., LTD. Tenno.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2012年1月4日撮影)
セーラー万年筆は、一九一〇年代前半に創業。日本の文房具メーカーの老舗として、今でも全国に根強い愛好者を多く抱えている。あるいは、「セーラー万年筆というメーカー」を知らなくとも、その文具を愛用している。そういう人も多いかと思う。
かように「戦前から続く文具メーカー」として長年やってきたセーラーであるが、彼らも日本に軸足を置く企業の一つであることに変わりはない。〇〇年代後半、日本は人口減少という未曽有の局面に差しかかった。これまで日本の総人口は、増えることはあっても減ることはなかった。それが「減る」に転じたのがこの頃である。もう国内市場はシュリンクする一方であることがいよいよ明確になり、加えて、戦後の日本市場を牽引してきた(と言っていいだろう)団塊の世代も、このタイミングで軒並み社会から引退した。つまりこと日本国内においては、従来のような購買者数がもう見込めなくなったのである。セーラー社も「これからどうするか」を思案せざるを得なかったはずである。
推測だが、そういう検討の中で、アットアロマとコラボしてこれまでとは違う新たな層にアピールしようというアイデアが出たのではないか。そうして開発されたのが「アロマペンディフューザー」であろう、と私は考える。
〇〇年代後半は、「森ガール」とか「山ガール」という呼称が全国的に有名になった時期でもある。従来はほとんど男性しかいなかった分野で女性ユーザーが散見されるようになった。やがてそういう呼び方は廃れて、「〇〇女子」という言い方に移行して行くのだが、ともあれ市場原理主義のマーケ屋が、この頃に「男性メインの分野において女性をターゲットにすれば、新規ユーザーを開拓できる」と妄信したのは確かである。
輸入雑貨の企画販売会社として一九九八年末に創業したアットアロマは、二十一世紀に入ってアロマディフューザーの輸入販売に着手した。〇〇年代前半になると、アロマキャンドルなどのアロマ系グッズが、国内のさまざまな店舗でそれなりの存在感を示すようになっていたから、これは時代に即していたのであろう。そうして彼らは「香りのリーディング・カンパニー」を標榜するようになる。
男性ユーザーの大多数は、文房具に「良い匂い」という要素を求めない。今はどうか知らないが、少なくとも二〇一〇年前後当時はそうだった。それなら、良い匂いが出るアロマディフューザー付きのボールペンで女性にアピールするのはどうだろうか? そして女性にアピールできれば、これまでとは違うユーザー層を開拓できるのではないか? セーラー社はそう考えてアットアロマとのコラボに乗り出したのではないかな━━と私は邪推する。アロマ(芳香)にこだわるのは、どちらかと言えば女性だろうと思うし。
翻して言えば、この商品は男性にアピールしない。「これ、どうやってアロマが出る仕組みになっているんだろう?」とアロマディフューザーの機構に興味を持つ男性はいくらかいるかも知れないが、ではこのアイテムを愛用する男性となると、その数は限りなくゼロに近いはずである。また、女性であっても、良い匂いを自身でまといたいと思う人は多いだろうが、ボールペンという道具に芳香を求める人は少ないのではなかろうか。日常的に香水やら芳香が売りのシャンプーやらを使っている人の場合、その匂いとペンから出る匂いとがかち合って悪臭になることを懸念する向きもあろうし。

アロマペンディフューザー リロマ
色:ロゼ・ピンク
芯色:油性ブラック
価格:税込1,890円(当時)
そんなこんなで、この「アロマペンディフューザー リロマ」は世に出てから程なくして、生産中止になった。要するにウケなかったわけである。だから、セーラー社はこのペンにレギュラーの座を与えなかった。このペンを「時代の徒花」と位置づけるのは、そういう次第である。