前原光榮商店の傘は「高級洋傘」と形容されるような傘である。
「前原光榮商店 前原傘 紳士用 ブルーグレー 焼籐」
直径:101.5 cm
ただんだ時の長さ:88 cm
重量:およそ 550 g
価格:税込19,800円
つまり、そのへんのコンビニで売っているビニール傘や、梅雨入り前後の時期にショッピングモールの催事場で並べられるキャラクター入りの安めの傘とは違うということである(そういえば北海道には梅雨がないと仄聞したが、そうなると道内では傘のセールなどはそうそうないのだろうか?)。
曲解しないで頂きたいのだが、本稿にはそういう安手の傘をダメだと一蹴する企図は皆目ない。雨を凌ぐという点においては(だいたいの品は)有用なはずであるし、手に入れやすいか否かで言えば、圧倒的に手に入れやすいと思う。そういう点を重視するのであれば、安手の傘とて不足はない(過疎と呼ばれる地域では「そもそも傘を売っている店が近所にない」かも知れないが、それはまた別の問題である)。
実際、私だって雨の日にビニール傘を差すことはままある。
であれば、なぜ私はビニール傘の対極にあるような「高級洋傘」を取り上げるのか? そのあたりは、いずれ後述する。
少なからぬ人は前原光榮商店を訪ねたことがないだろう。そもそも「洋傘」という単語にピンとこない向きも多くあるかもしれない。まずはこのあたりを、簡明に記したいと思う。
前原光榮商店とは、傘メーカーに勤めていた前原光榮という人物が独立して、1948年に東京に設立した傘を商う店舗である。
「前原光榮商店 前原傘 紳士用 ブラック 焼籐」
直径:101.5 cm
ただんだ時の長さ:88 cm
重量:およそ 550 g
価格:税込19,800円
「洋傘」という呼称の存在は、和傘と呼ばれる傘(のジャンル)があることを暗に示す。江戸時代末期に鎖国をやめ、開国した後の日本には西洋の菓子類が流入した。それらが「洋菓子」という呼称を得たところから、それまでの日本に従来的にあった菓子類を「和菓子」と呼ぶに至った。そう仄聞する。つまり日本のトラディショナルな傘は和傘であり、洋傘とは「日本において比較的新しいタイプの傘」なのである。洋傘と和傘は、形状はほぼ相似的だが使われる骨の数や傘布が異なる。
洋傘がいつごろ日本で普及したのかは諸説あるが、少なくとも前原が同商店を創業した1948年時点においては、洋傘はもうかなり一般的だったことが、その店名から窺える。もしその当時、洋傘がレアなものであったなら、店名は「前原洋傘商店」とかになっただろう。そう推察されるからである。
開国以降の日本には西洋化の波が訪れる。いぐさの畳はフローリングとなり、トイレは和式から洋式になり、引き戸はドアになり、朝食に米飯よりもパンを摂る人が増えた。かような「西洋かぶれ」は傘にも及び、人々は軒並み洋傘を使うようになった。今、私達が「傘」という場合、それは一般的に洋傘を指すはずである。和傘はもはや日用品というより、エスニックな骨董品と位置付けられることが過半であろう。
洋傘が一般的であればこそ、安価な洋傘も作られる。言うまでもなく、非一般的な和傘を安価で売っても、赤字になるだけだからである。道楽以外でそんな間尺に合わない商いをする人はまずいない。そして、そういう安価な洋傘との差別化という段において、前原光榮商店が手がけるような「高級洋傘」もまた成り立つわけである。
つまり、前原光榮商店の「高級洋傘」が現代日本において成立するのは、日本人が等しなみに西洋にかぶれ、洋傘が普及したからでもあろう。それは歴史の方向性からして仕方がない。
ナショナリストや和傘職人は、この趨勢を断腸の思いで嘆くかもしれないが、取り敢えず本稿の主旨は別のところにある。
洋傘が普及して、安価な洋傘が遍在するようになった。安物は雑に扱われがちであるゆえ、雨の日には道路上や公園の敷地内に打ち捨てられたビニール傘も散見される。ああいう景色を見ると、個人的には胸が痛むというか、なんとも哀しくなってくる。あれが「高級洋傘」だったら、あそこまで粗末には扱われないだろうになと思う。だから私は「高級洋傘」がもうちょっと広まればなと思ったりもする。ある種の人にとっては、ものを大切に使うには、高いものを使うのが早道だったりもするので。