あくまでも個人的な話ではありますが、この「MONO消しゴム」に限らず、私は消しゴムというアイテムをもう二十年近く使っていません。というのも、私が学生だったのは〇〇年代半ばまでのことで、そこからもう十数年が経っているからです。たぶん多くの社会人の方がうなずいてくれると思うのですが、大学(大学に行かなかった人は、最後に通った学校を想定して下さい)を出て以降となると、消しゴムを使う機会はめっきり減ります。もちろん就いた職業や置かれた環境によって多少の違いはあるでしょうが、総じて大多数の大人は「消しゴムを使う」から縁遠くなるはずです。実際、ここ何年かの生活を思い返しても、消しゴムを使った記憶はとんとありません。
だから私には、当今の文房具界において、あるいは文房具ユーザーにとって、この「MONO消しゴム」がどういう位置づけにあるのか、よく分からない。そこをまずはご了解の上で読み進めて頂けると重畳です。
さて、さっきから述べているMONO消しゴムとはどのようなものか。以下の写真が実物になります。
MONO消しゴム PE-01A
税抜価格:70円
「あ、見たことある」とか「昔これ使ったことある」という人もおられるかと思います。現在進行形でユーザーである方は「知っとるわい」と思われるかも知れません。まぁとにかく実物はこういう消しゴムなわけです。
MONO消しゴムを製造しているのは、大正が始まって間もない一九一三年に「小川春之助商店」として東京都台東区に創業した文房具メーカー=トンボ鉛筆です。ちなみに二〇二四年現在、彼らの本社は東京都北区にあります。台東区は二十世紀半ばに「芸能の町」として全国に名を馳せましたから、文具メーカーとしては「ここは俺らがいるには、ちょっとカラーが違うな」となったのかも知れません。もっとも、製造拠点も東京にあるかと言うとそうではなく、工場は愛知県にあるとのことです。
トンボ鉛筆本社ビル(@東京都北区)
出典:Tombow Head Office.JPG
from the Japanese Wikipedia
(2010年11月18日撮影)
一九一三年は、ご承知のように翌年に第一次世界大戦を控えた年です。だから欧州は、今にも何かが爆発しそうな危なげで不穏な空気に包まれていたのかも知れません。しかし日本はそれとはあまり関係がなくて、日本近代史の中でも例外的に平和な時代「大正デモクラシー」を謳歌していました。天皇を傀儡にして明治政府を成立させ、利権をほしいままにしていた「元勲」と呼ばれる政治家(軍人)達が、当時台頭してきた「市民」という新興勢力に譲歩せざるを得なくなった、そういう時代です。もちろんそれで日本に「市民社会」だとか「真っ当な形での政党政治」がストレートに実現したわけではないですけども(今でも実現しているかどうかという気もしますし)。
彼らが創業したのは、そういう「市民に凛とした志があった」時代でした。少なくとも当時の首府=東京府には、市民はそういう志を持つべきだろうという空気が流布していたと思います。だからでしょうか、彼らも「日本を代表する鉛筆を作るメーカーでありたい」と志して、自社製の鉛筆を「トンボ鉛筆」と名付けました。それが一九二七年のことで、やがてそれを自社名にもします。
名前の由来はもちろん昆虫のトンボです。聞くとトンボには昔「秋津」という呼び名があったそうです。日本の本州も古代には「秋津州」と呼ばれていたという説があります。この偶然の同期から、彼らは自社の鉛筆に「トンボ鉛筆」を冠したのでした(なんで「秋津鉛筆」にしなかったんでしょうね?)。
事程左様、トンボ鉛筆の主力商品は(社名からして明らかですが)鉛筆です。消しゴムじゃない。じゃあなんで彼らは消しゴムを商品化して、しかもそれがヒットしたのか? 実はこの消しゴムは、もともとは鉛筆の付録として付いてきた、いわゆるノヴェルティだったのです。
一九六七年、彼らは高級鉛筆「MONO100」をリリースしました。そこにノヴェルティとして付いてきたのが、初期のMONO消しゴムだったのです。当時は生のゴムで作られた消しゴムが巷間で主流でしたが、MONO消しゴムは最初からプラスティック製。これが「めっちゃ使い心地いい、よく消える」と評判になって、一九六九年に正式な商品として世に出て、広く人気を博した次第です。
ただ、それは六〇年代の話です。今はそこから五十年以上が経った二〇年代。今となっては、プラスティック製の消しゴムは、たぶんどこの文具売り場でも当たり前にあります。そして彼らの社名は今でも「トンボ鉛筆」なのです。ということは、こういう疑問も浮かびます。果たしてMONO消しゴムは今でも優れた消しゴムと言えるのか? と。断っておきますが、私はケチをつけているわけではありません。少なくとも私は二十年近く消しゴムを使っていませんから、そもそも消しゴムの質について難癖をつける筋はない。あくまで「事の順序と背景を考えると、こういう疑問もありえるな」というだけのことです。Don’t get me wrong.