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ロルバーン
二十世紀は遠くになりにけり

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「ロルバーン」とは何か。日常ではなかなか耳にすることのない名称である。本稿でいうロルバーンとは、一九八八年に創業し、主に三十代以下の男女から人気を博してきた文房具製造会社デルフォニックスが、二〇〇一年に販売開始した、少し高価なノート(メモ帳や日記帳タイプもある)のことである。でもこれだけだと、「はぁそうですか」で話が終わってしまいかねない。



ロルバーン ポケット付メモ(イエロー)
サイズ:A5
税込価格:1,045円

では「ロルバーン」という単語の意味は何か。ドイツ語で「滑走路」を指すのだという。でもこう言われても、やはり「はぁ、そうですか」としか言いようがない気がする。

滑走路といえば、一般的に連想されるのは飛行機であろう。しかし飛行機でメモ帳やノートを使う人は、現代ではそう多くはいないはずである。飛行機に搭乗する際の必需品は、大人ならスマホかタブレットを挙げる人が多かろうし、子供ならニンテンドー・スイッチかも知れない。今はそうだが、ロルバーンが世に出た二〇〇一年まで遡ればどうか。当時でも、やはり大人ならノート・パソコンや本を挙げる人が多かったろうし、子供はゲームボーイ・アドヴァンスとかだったのではないか。そういう気がする。



2001年当時、大阪(伊丹)-東京(羽田)間を飛んでいたポケモンジェット1999
出典:JA8964 B747-481D ANA All Nippon(Pokemon) HND 10JUL01
from the Japanese Wikipedia
(2001年7月10日撮影)

なんというのか、ノートや日記帳と、飛行機や滑走路がうまく結びつかない。ましてそのノートの名前がドイツ語である理由など皆目思い浮かばない。これは(多分)私だけではないと思う。

順番に見ていこう。そもそもデルフォニックス社とはどういうものか。一九八八年、事後的に見れば昭和が終わる寸前のこの年、彼らは産声を上げる。その始まりは、洒落た日記帳を企画、製造する集団であったという。時代はバブル景気のど真ん中。巷では若者の間で、ニコルやコム・デ・ギャルソンなどデザイナーズ・ブランドの服が流行していた。九〇年代半ばになると、そのムーヴメントが拡大して(かどうかは知らないが)、ルイ・ヴィトンやシャネルなど海外ブランドのアイテムを志向する女子学生や主婦もちらほら現れるが、八八年にそういう動きはまだない。あくまで一部の若者が、一部の高級ブランドを志向するだけであった。

エコノミー・バブルという背景がある以上、当時の若者(の多く)は金銭面で困っていない。とはいえ、カネがあるからといって、カネの使い方をマスターしているとは限らないので、一部の若者は取り敢えず「お洒落な高級品を持つこと」にカネを使う。その「お洒落な高級品」が、デザイナーズ・ブランドであったり、フェラーリやBMWなどの高級外車であったりしたわけだが、別に若者の皆が皆、そういう浪費癖を持っていたわけでもない。八〇年代にだって「そんなにおカネをじゃんじゃん使うのはちょっと」と考える若者は、少なからずいたはずである。

そういう人達はどうしただろうか? 周りが「お洒落な高級品を持つこと」に向かっている以上、その方向性は共有したい。でないと、浮いて「変なヤツ」という烙印を押されてしまう。そうかといって、何十万、何百万とカネを浪費するのは気が引ける。そこで、お洒落でいささか高いノートや日記帳は求められたのだと思う。ノートや日記帳なら、高いと言ってもせいぜい三桁か四桁。何万円、何十万円もすることはないだろう。それでいて「お洒落な高級品」という条件は満たせる。まさに「お手頃」なのである。

そういう時代背景があって(と言っていいだろう)デルフォニックス社は創設された。九〇年代に入れば経済バブルははじけて終わるが、バブルというのはあくまで比喩であり、目に見えない概念に過ぎない。だから人々は「バブルははじけたっていうし、今までの考え方は改めよう」とはならなかった。バブルが崩壊した後であるはずの九〇年代半ばになって、海外ブランドを志向する女子学生や主婦が現れるのは、このためだろう。実際的な理由がなければ、人はそう簡単に今までのあり方にブレーキをかけたり軌道修正したりはできないのである。デルフォニックス社であっても、それは同様だったと思う。

「ロルバーン」はドイツ語で滑走路を意味する。恐らく「このノートなり日記帳なりを使うことで、あなたはどこへでも飛び立てる」みたいなメッセージが含まれているのだろう。その含意自体をどうこう言うつもりはないが、なんでドイツ語なのかは、やはりピンとこない。そこで私はこんな邪推をする。もしかしたら彼らは「ドイツ語=お洒落」と思って名付けたのではないか? 事実は藪の中であるが、もし仮にそうだとしたら、そのセンスは甚だしく前世紀的ではないかと個人的には思う。

二十世紀を通して、確かにドイツやフランスなどヨーロッパの文化は、多くの日本人にとって羨望の的であった。でもそういう「外国への憧れ」は、二十世紀後半の経済的発展に伴い、だんだんと薄まっていく。円高になれば外国旅行も海外からの輸入品も珍しくなくなる。プロ野球でも、九〇年代には日本人選手がメジャー・リーグへ進出するようになった。ロルバーンが出た二〇〇一年当時、日本人の多くにとって欧米は、かつてほど「憧れの的」ではなくなっていた。たとえば当時、自前のノートに名前や番号をドイツ語で記す日本人学生などは━━その学生がドイツ出身とかドイツ語学部所属とかでなければ━━高確率で「何をイキっとんねや?」と冷ややかに見られたはずである。

ロルバーンというドイツ語が冠せられたのは、そういう前世紀の名残なのかもしれない。私にはそう見えるのである。彼らの目玉商品として、もう四半世紀近くあり続けているわけだから、ロルバーンのアイテムのクオリティー自体は良いのだと思う。そこを否定するつもりは毛頭ない。というより、その品質をどう見るかは、ユーザーの一人ひとりに任されて然るべきであろう。ただそれはそれとして、そのブランド名に「ドイツ語である必然」が見当たらないのもまた事実である。必然を欠いた伊達はスタンドアローンでは持ちこたえられなかったのか、平成の幕が引かれた二〇一九年、デルフォニックス社は大手出版商社トーハンに買収された。







 

開明墨汁
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