相馬屋の原稿用紙
尾崎紅葉のアドバイスから生まれた原稿用紙
突然ですが皆さん、「尾崎紅葉」ってご存知ですか? え、言っておきますが、女性じゃありませんよ。れっきとした男性です。江戸から明治にかけての時代に活躍した文人、俳人なんですが、まぁ彼を知らなくても、彼の代表作『金色夜叉』なら、名前だけでも聞いたことのある人はいるんじゃないでしょうか。間違っても、「盗んだバイクで走りだす」あの人と間違わないでください。
さて、別にここで日本の近代文学史について、どうこう述べようっていうわけじゃありません。1659年に和紙問屋として創業した相馬屋の原稿用紙と、尾崎紅葉には密接な繋がりがあるということで、先ずは尾崎紅葉について言及したまでです。
尾崎紅葉
(1868年~1903年、江戸生まれ)
この相馬屋、明治のある時、西洋紙の注文量を間違うポカをやらかしたんですね。つまり西洋紙が大量に余っちゃったわけです。当時は今よりも紙が貴重で、まさかみすみす処分するわけにもいきません。そこで知恵を貸したのが先ほどの尾崎紅葉。マス目を付けて原稿用紙として売り出してはいかがかと相馬屋に提案して、相馬屋はその場をしのいだそうです。
もともと、原稿用紙が明治時代ごろから重宝され出したのには、文学の流行がひとつの要因としてありました。当時はパソコンもワープロもありませんから、何を書くにも手書きです。そこで字数をカウントしやすい原稿用紙が、「こりゃ助かるわ」って感じで大流行したんです。相馬屋の急場しのぎに過ぎなかったはずの原稿用紙もとても有難がられ、その原稿用紙を、夏目漱石、北原白秋、石川啄木なども愛用したと伝えられています。
「B4判 400字 棚あり」
罫線: 赤
サイズ: B4
価格: 税込540円
『金色夜叉』は、物語が終わる前に作者である尾崎紅葉が胃がんで倒れたことで、未完のままです。まだ物語は続いていると言ってもいいでしょう。相馬屋の原稿用紙も然りです。和紙の時代から洋紙の時代になりましたが、変わらず、彼らの原稿用紙は今もあり続けています。
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原稿用紙の老舗・神楽坂の「相馬屋源四郎商店」
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非力でも使いやすかったのに・・・