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北野天神縁起絵巻
未完のままでいいような絵巻物

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こんにちは。どうも。どうやら本稿が二〇二四年最初の記事になるみたいです━━だからというわけではありませんが、ここでフィーチャーする『北野天神縁起絵巻』は、なんとなくおめでたい感じがする絵巻物だと思います。内容がおめでたいかどうかはともかく、見ていると「おめでたい感じがする」といいますか。

『北野天神縁起絵巻』は京都の北野天満宮に「承久本」として蔵されている、鎌倉時代の初め頃に(おそらくは)複数の絵師によって作られた絵巻物です。その中身はというと、平安時代の王朝貴族のお話なんですけど、ここには王朝文化には不似合いな(と言っていいでしょう)エネルギーに満ちた陽気さや、たくらまないユーモアが多分にあるのです。



北野天満宮の拝殿(国宝)
出典:Main Shrine, Kitano-tenmangu-No4-2020-07.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2020年5月28日)

絵巻物は昔の絵本みたいなものです。だからそこでは当然ストーリー(物語)が語られる。でもこの話の内容は、そうそう「おめでたい」とは言えません。

時は平安時代初期、醍醐天皇の御代の都(現在の京都)です。菅原道真という優れた政治家が宮廷にいたのですが、彼は政敵である藤原時平との政争に敗れて、九州の太宰府へ左遷されてしまいます。

都で暮らす政治家達にとって、都以外の地域は、基本的に「人が住むトコじゃない」という認識です。後の世で、流刑に処された源頼朝が、関東で鎌倉幕府を開きます。その際に彼に授けられた地位は「征夷大将軍」でしたが、これは「東夷=東の方の野蛮人」を征服したという称号です。当時の都人には、そうした地方蔑視が歴然とありました。それはもしかしたら東京で働く今の官僚や政治家にもあるのかもしれませんが、ともあれ、九州に流された道真は大変に嘆き悲しみ、やがて五十代で絶命します。

道真が左遷後に亡くなり、しばらくすると、都の宮廷が激しい雷に見舞われ、政敵だった時平や醍醐天皇は死んでしまいます。あな恐ろしや、これはきっと道真公の祟りに違いない。人々はそう恐れて、彼を天神様=天満大自在天神として祀りました━━これが北野天満宮の縁起(成立の由来)だそうです。

『北野天神縁起絵巻』が語るのはこういう話です。お世辞にも「おめでたい」とは言い難いでしょ? どちらかと言えば悲話あるいは奇譚のたぐいにあたると思います。でも絵巻物の絵を見ると、それ系の情念的なおどろおどろしさ、べたべた感はあまり見受けられません。なんと言うか、ハリウッドのパニック映画みたいなスペクタクル感とか、あっけらかんとしたユーモアが、ここにはあるように感じるのです。

たとえば、全部で九巻ある絵巻物のうち、巻六は清涼殿を雷神が襲撃する場面を描いているのですが、鮮やかな色彩で描かれた雷神はどこかチャーミングに見えます。雷神に吹っ飛ばされる貴族も、よく見ると滑稽で、思わずくすっと笑ってしまいそうになる。日本の美術史上、ここまで「可笑しさ」を含んで成り立っている作品は、そうないんじゃないでしょうか。



『北野天神縁起絵巻』巻六(国宝)
出典:Kitano Tenjin Engi Emaki - Jokyo - Thunder God2.jpg
from the Japanese Wikipedia
(パブリック・ドメイン)

続く巻七や巻八は「地獄巡り」や「六道輪廻」のシーンですが、ここでも炎や血しぶきがやたらと色彩豊かに描かれていて、恐怖心よりも「派手やなぁ」という感嘆の方が先に立ちます。平安時代末期に後白河上皇プロデュースで作られた『地獄草紙』には、地獄に相応しい、薄気味悪い暗さがありました。でもこっちの地獄は、そんなに暗くないように思います。「陽」の方向性が強いと言いますか。ただただ「ダイナミックやなぁ」と息を呑むばかりです。

さて、絵巻物は全九巻と先述しましたが、実はこのうち九巻目は未完成なのだそうです。つまり北野天満宮が作られることになったプロセスを延々と語ってきたにもかかわらず、最後の最後、肝心の天満宮が造営されるシーンが未完成のまま、天満宮に奉納されたのです。なんとも画竜点睛を欠いたありようですが、この絵巻物に関しては、それでいいのかもなという気もします。

私はこの絵を素晴らしいと思います。たぶん当時これを描いた絵師にも、そういう自負はあったでしょう。これは傑作だ、と。それはそれで一つの達成ではありますが、古来より日本人にとって「素晴らしい絵」とは、そこに描かれた生き物が動き、現実に出てきてもおかしくないものでもありました。

先に「画竜点睛を欠く」と書きましたが、この言葉は南北朝時代(五世紀中盤から六世紀末にかけて)の中国の故事に由来します。この時代の中国の優れた絵師が竜の絵を描いたのですが、仕上げとして竜の目玉を描いたところ、出来上がった絵から竜が飛び出して去ってしまう。だから絵師は最後の工程である「目(睛)を描く」をしなかった。こういう話が中国では広く伝わっていたようです。当時の日本は古墳時代で、中国や朝鮮など近隣の先進国の影響を大きく受けていましたから、日本でも「優れた絵とは、完成するやいなや、描かれたものが生きて飛び出してしまうようなものだ」と考えられるようになったのでしょう。

平安時代初期、菅原道真と親しかったとされる巨勢金岡こせのかなおかという宮廷画家がいました。記録にしか残らない巨勢が、果たしてどんな絵を描いていたかは分かりません。でも、彼が描いた馬は、生きて夜な夜な絵から抜け出したという伝説は残っているんです。言い伝えの真否はこの際どうでもよくて、要は、優れた絵画においては「描かれたものに生命が宿りかねない」ということです。今でも、傑出した絵を評する際に私達は(折に触れて)「生き生きとしている」と言いますもんね。

『北野天神縁起絵巻』が未完のまま奉納されたのも、そこに描かれた雷神やら道真公やらが、生きて出てきて祟りをなさぬように、と思われたからじゃないか━━私はそういう可能性を考えるのです。もちろん、素人の思いつき以上のものではないのですが、でもなんとなく、「そういうこと」ってありそうだと思いませんか?






 

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