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G-SHOCK
頑丈な腕時計が刻んできた時間

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町に出て思う。昔に比べて腕時計をしている人が減った。いや、そんなことはない、今も大勢の人が腕時計をしているじゃないか。そう返す人もおられるだろうが、私はスマート・ウォッチを「デジタル・ガジェットの一種」と捉えていて、腕時計にカウントしていない。それを踏まえると、確かに腕時計をしている人は減ったということになるはずである。

それはあんたの勝手な取り決めだろう。その通りである。返す言葉もない。私の考え方に一般性があるかというと、心許ないということもある。ただ、私はやはり頻繁に充電が必要な装置を「腕時計」にカテゴライズしたくはないのである。時計であるからには、現時刻を示す機能が最重要であるはずで、時間を知りたい時に、充電切れだとかで分からない可能性がしょっちゅうあるスマート・ウォッチは、どうにも「時計として不便極まりない」のである。個人的には、時計というからには電池で最低三年くらいはもってほしい。時計にはある程度、持続性や耐久性が求められるはずである。という所で、話はカシオ計算機の「G-SHOCK」である。

Gショックとは何か? 九〇年代に全国的人気を博した、頑丈さを売りにした腕時計のブランドである。当時をティーン以上の年齢で(国内で)過ごした人であれば、誰でもその名を耳にしたことくらいはあるだろう。



G-SHOCK 30周年記念 Resist Black(DW-6930C-1JR)
メンズ
税込価格:15,750円(発売した2013年当時)

では九〇年代の産物なのかというと、さにあらず。実はGショックが初めて世に出たのは一九八三年である。東京ディズニーランドが開園し、NHKの連続テレビ小説「おしん」が高視聴率をマークした年。あぁ覚えているよ、という人もおられようか。ちなみに私は当時生まれていないので記憶にはない。

どうして計算機メーカーが、頑丈な腕時計を売り出したのか? 話は一九八一年まで遡る。当時、カシオの若手技術者だった男性社員が、時計が壊れる瞬間を目の当たりにする。それ自体は珍しくないことだが、これを見て彼は、自社製品としてそうそう壊れない頑丈な時計を作れないものかと思いつく。日常の何気ないシーンからイノヴェーションが生まれる。その好例であろうか。彼は同僚二人とチームを組み、「タフな腕時計開発プロジェクト」が立ち上がる。この三人は当時いずれも二十代だったという。

それまでにない商品を開発する以上、その道のりは険しいものになる。まずは単純に腕時計の外郭の強度を上げてみよう。そう考えたが、強いプロテクターで時計を覆うと、大きさが腕時計に相応しくないものになる。ボツ。では発想を変えて、衝撃を吸収するタイプにしてはどうか? しかし衝撃吸収材だけでは、数多ある外因性衝撃から時計を長期的に守るのは難しい。なにしろどんな方向からどれくらいの衝撃がどの程度加えられるか、開発段階では分からないのである。

どうすればいいのか。悩める毎日。そんなある日、チームの一人がふと公園で遊ぶ少女に目を向けた。別にロリコンだったわけでは(たぶん)なくて、何の気なしのことだった。すると少女の手にはマリが。これだ! と彼は閃いた。マリの原理で、時計の中心部が浮いている構造にすれば、衝撃は部品に伝わらないのではないか。ただしそうは言っても、実際に中身を浮かすのはさすがに不可能。ならばと、点で支える構造を採用し、試行錯誤の末、念願の「衝撃に強い腕時計」が完成する。一九八三年四月十二日、Gショック第一号機は晴れてその姿を店頭に現した。

翌八四年一月、東京証券取引所で日経ダウ平均株価(今でいう日経平均株価)が初めて一万円台になったことが、大きな話題となった。つまり当時の日本は上り坂の好景気だったわけだが、その一因は「日本が戦争と無縁だったから」であろう。中東ではイラン-イラク戦争が一九八〇年から続いていたし、アメリカは七五年に終結したヴェトナム戦争(敗戦したのはアメリカ)の後遺症にあえいでいた。ソ連を頂点とする社会主義陣営は、九〇年前後の体制崩壊へと向けて、どこもかしこも深刻な問題を多発させていた。八〇年代、国際情勢は混沌としていて、その中で無風状態だった日本が経済で独り勝ちをしたという見方は成り立つはずである。

国民が戦争と無縁である以上、頑丈な腕時計は、要るか要らないかでいえば、おおむね要らない。だから八〇年代にGショックは、少なくとも国内では日の目を見なかった。ただし世界ではあちこちで戦争が起きている。この腕時計はまず海外の軍人や消防士などに求められた。シールズ(米海軍特殊部隊)などでも、Gショックは人気を博したといわれている。



米海軍特殊部隊(ネイヴィー・シールズ)の面々
出典:US Navy SEALS fast rope.jpg
from the Japanese Wikipedia
(2002年11月15日撮影)

そういう実情があれば、ハリウッドのアクション映画で、俳優がGショックを腕につけるなども当たり前に起きる。それに目をつけた日本人がGショックを欲しがったとかで、国内でGショックがブームになったのが九〇年代の半ば。当時はバブル崩壊後ではあったものの、まだバブルの余沢が各方面にあったから、巷では「ちょっと贅沢な小物」が人気だった。具体的にはルイ・ヴィトンのバッグ、ナイキのエア・マックス、ヴィンテージ・ワインなどであるが、Gショックもその「ちょっと贅沢な小物」の一つに位置付けられていたと思う。

時は流れて現在は二〇二四年。相変わらず世界はカオティックであり、日本は依然としてバブル崩壊後のリセッションを引きずったままである。国内も国外も、先の見通しが明るいとは言えないだろう。ただ、確かなことは「あれから数十年の時が過ぎた」ということである。前述のように、八〇年代序盤に三人の若手社員がGショックを開発したわけだが、その三人のうち商品企画の責を担った増田裕一は、昨年カシオ計算機社の社長の座に就いた。







 

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